1.ゴール後のひととき ゴールした直後の私は、はっきり言って放心状態だったと思います。
なんというか、自分自身の意識が少し離れたところで、自分の行動を冷静に見ているというか……。
俗に言う「幽体離脱」って、こういう状態のことを言うのかもしれませんね(^^;)。
とはいえ、食事をしたらさすがに幾分か落ち着いてきました。
半分放心したまま、一息つくと、さて、どうしようかな、という気分になってきます。
PBPは、コース走行中は参加者に対するホスピタリティが最高なのですが、終わった途端に「Congrats! And see you again in four years!」で放り出されてしまう、なんて評判があったりします。
が、この辺りは日本のブルベも、ゴール後は何となく周囲と雑談後、流れで解散、というパターンがほとんどであり、PBPが特に変だとは思いません(ギャップがすごい、という点は、そうかもしれない ^^;)。
テントをざっと見回しても、日本人の姿が見当たらないので、少し出歩いてみるか、とテントの外に出てみることにします。

テント出口にあったゲストブック。
コメントをどうぞ、と書いたボードには、
“またPBP2023で会いましょう”
というメッセージが添えられていた。
(ちなみに、英語版が左側にある)

このゲートがフィニッシュの印だった。
この画像の撮影中にも、
多数の参加者が大声援に迎えられていた。
そういえば、何か記念になるものがあるか、売店が出ているあたりを見てみよう、と近くに行くと、とりさん(Trinityさん)の姿を見つけたのでご挨拶しようかと近づいていくと、とりさんもこちらに気付いたらしく、おっ、という顔になって一言。
「今までどこにいたの!」 ……え? 何すか?
その、
「飲み会、もう解散しちゃったよ!」なニュアンスの叫びは?(笑)
「いや、今ゴールして、飯食ってテントから出てきたところで……」
「あ、じゃあ、まだ誰も日本人には会ってないの?」
「まあ、そうですねぇ……」
いまいち、事態を理解できていないので、何があったのかと話を聞いてみると……。
どうやら、ゴールした日本人の数が増え始めた頃と、ブレストでDNFした皆様が出迎えに到着した頃が同時くらいだったようで、その流れで日本人参加者の集合写真撮影をやろう、という話が自然発生していたそうです。
で、ついさっき、撮影が終わったばかりだ、とのことで……。
おいちょっと待て。
前回もそんな話がなかったか!(爆笑)
前回、2015年のPBPは、集合写真を撮るぞ、と言われた時間に合わせて車検に入ったものの、ちょっと手間取って時間がかかったため、集合場所に行ったらちょうど撮影が終わっていた、という間の悪さだったのでした。
で、今回も、その間の悪さを発揮したぞ、と(笑)。
うん、どうやら私は、集合写真に参加できないジンクスがあるんでしょうかねえ(^^;)。
というか、こんな話になっていたのなら、あのテント内に日本人の姿がないのも納得ですわ(^^;)。
みなさん、集合写真に流れてたんですから(笑)。
ただし、ちょうど日本人が集まっていたこともあって、知り合いの皆様にご挨拶できたのはありがたかったですね。
そしてここで井手マヤさんにもお会いできました(マヤさんは残念ながらDNFだったらしい)。
首から下げたメダルを見て、我が事のように喜んでいただきました。
今回のPBPは天候が良くなかったので、完走するなんて本当にすごい、と言われましたが、確かに向かい風の影響はありましたが、連日晴天で、そんなに悪かったかなあ……なんてぼんやり考えていました。
後に、私は意識していなかったのですが、今回のPBP期間中、夜の冷え込みが初夜から一桁に落ちており、寒さが非常に厳しかったとの話を聞かされました。
この影響か、東南アジア、インドなどの熱帯圏の皆様が、かなり厳しい思いをしていたようです。
うん……私は案外平気だったのだけれどなあ……(^^;)。
そして、ここでランドヌール宮城チームの皆様は、ブレストでDNFになっていたことを知りました。
ベテランの皆様によるチームだったので、粘り強く走っておられるかと思ったのですが、メンバーの体調悪化が想像以上だったため、最悪の事態を避けたのだとか。
代わりに、マヤさんらブレストでDNFした皆様とモン・サン・ミッシェルに観光に行ってきたらしく、それはそれで羨ましい話なんですが……(^^;)。
ちなみに、日本人参加者の中には、
「モン・サン・ミッシェルまで大幅な寄り道をしながらも、時間内完走を果たした」という凄い人もいらっしゃったそうです。
しかも、朝もやの中に浮かぶモン・サン・ミッシェル、という、とても最高の瞬間を見られたのだとか……。
いや……凄いわ。
これは本当に羨ましい話です。
私は、とにかくゴールに進むしか術がなかったのですから……。
さて、ちょっと売店のテントを眺めても、
「記念ジャージにサコッシュのセット、キャッシュオンリーで100ユーロ越え!」という、
「そんな大金、持ち歩いているわけないだろ!」な価格がついている場所があったり、追加で料理やドリンクが欲しくても、トークン(引換券)購入に大行列、という感じで、時間か金かを大きく消費する結果になりそうで……。
ゴールして気が抜けたためか、疲労が体にずっしりと響き始めたので、さっさとホテルに戻ることにしましょう。

ランブイエ駅方向に出発。
ランブイエ城側出口ゲートにある
このパヴェで手首が痛くなった。
おのれ、最後までコースの難関はランブイエのパヴェか……。
最短ルートでランブイエ駅までのルートを検索すると、結構な坂を登らないといけないコースとなりました。
もう、尻は痛いわ、そんな力が出てこないわ、で、ここにきて押し歩きです(^^;)。
地元の方らしいご家族に、
「どちらに向かっていますか?」と英語で尋ねられたので、
「ランブイエ駅です」 「道はわかりますか?」 「はい、あの交差点を左ですよね?」 「そうです、そのまままっすぐ行ってください」 「わかりました、ありがとうございます」 という会話でお別れ。
会話の中で、どこから来たの?日本ですよ、と言った時の、子供達の
「ジャポーン!」「ジャポーネ!」の叫び声がちょっと面白かったですね。
パリ近郊ならともかく、ランブイエくらいまで離れると、日本人は珍しいのかもしれません。

そして通りかかった公園と……

ランブイエの町の教会。
何度か立ち寄ったのに
この時まで周囲を良く見ていなかったが、
この町もすごく綺麗な街だった。
ランブイエ駅で、フレームバッグ等を自作しているkuroさんらとお会いし、サン・カンタン・アン・イブリーヌまで鉄道で一緒に移動。
その後、kuroさん達はドロップバッグの回収に、前回のスタート地点、ベロドローム方向へと向かい、私は駅から徒歩数分のホテルへと戻ります。
15時頃、ホテルに戻ると、お久しぶりなフロントのスタッフがウェルカムバック、と迎えてくれました。
「I made it!」 「Wow! Congrats!」 やったぜ、の報告に、盛大な拍手で祝福をいただきました。
そして、4日間を共にしたエンメアッカ号は、一旦、地下の駐輪場へ。
その後、私は部屋に戻って、数日ぶりにしっかりとした風呂に入ることにします。
全身を石鹸で洗えるのは、何日ぶりでしょうか……(ルデアックのシャワーでは、いまいち体を洗えた気分にならなかったので……)。
ペダリングで擦り切れた尻にお湯がしみて痛みを発しましたが、気にしてなどいられません。
全身を何度も泡立てて洗い、すっきりしたのは1時間以上経った後。
ドライヤーで髪を乾かし、ふう、とベッドに横になったら……。
次に気がついたのは、18時。
ドロップバッグの受取締切時間であるとともに、18時半からは、日本人参加者の懇親会が、日本人参加者の大半が宿所としていた、徒歩圏内のホテル・イビスで予定されています。
慌てて着替えて飛び出すというドタバタでしたが、この時は、もう歩くのも辛いレベルで体にダメージが出ていました……。
その後、ドロップバッグを無事に受け取り、日本人参加者の懇親会に出席。
ここで、ちゃりけんさんにゴール後初めてお会いし、私の時間内完走をハグでもみくちゃにされる勢いで祝福して頂けたり、コース上で顔を合わせた皆様や、ランドヌール宮城チームのメンバー、東北からの参加者の皆様はじめ、たくさんの方々と、コース上であったあれこれで大盛り上がりしたのでした。
ちなみに、この懇親会の間にも時間外でゴールに至った皆様の、「ランブイエ到着」の報告はSNSに次々、上がっていたようです。
私は、スマホがホテルの部屋で充電中でして……(単純に置き忘れた)。
やがて懇親会の時間はおひらきとなり、ホテル・イビス宿泊組は二次会だ、と、ホテルのバー?で盛り上がったようですが、ホテル・メルキュールの私はアルコールが入って睡魔が酷くなってきたこともあって、ホテルに戻ることにしました。
ドロップバッグを担いで部屋に戻り、ベッドに横になったら……。
翌朝まで、全く目覚めることなく、夢も見ないで眠り続けたのでした……。
2.出発の朝 翌朝、7時にかけてあったスマホのアラームで目を覚ましましたが……。
起き上がりたくても、全身が痛くて動けない……。
時間をかけて、全身の痛みに抗うように起き上がり、シャワーを浴びてから、空腹でゴロゴロ鳴り続けている腹を治めるため、朝食へと向かいます。
このホテルの朝食も4日ぶりです。
まあ、あまり変わり映えのしないバイキングでしたが、ハムとチーズ、スクランブルエッグとソーセージが相変わらず美味で、いくらでも食べられる気分で、ついつい食べ過ぎていた気がします。
しかし、毎朝、食べ過ぎるくらい食べていたおかげて、本番もカロリー的に十分な余裕ができていた気もします。
まあ、美味い飯に出会ったら、遠慮なく食っておけ、ということですね。
なお、フランスの食事はやはり日本人(というか、私? ^^;)には塩分が不足美味で、ベーコンなどには塩をたっぷりかけて味を調整していました(^^;)。

この日は特別メニュー、
パリブレストがあった。
最終日の朝、目に付いたのは、PBPの開催を記念して作られているというケーキ菓子、パリブレストです。
タイイングが良ければ、PCのレストラン等でも食べられたらしいのですが、私は結局、フルーツのタルトばかり食べていた気がするなあ……。
この日はもちろん、パリブレストもいただくことにします。
といっても、数が限られているので、一切れだけですが……。
とにかくこの日も、新しい種類のハムとチーズが増えていたので、それも含めてハムは全種類。
そしてソーセージのグリルがなかったので、代わりにカリカリに揚がったベーコンを、皿の上にたっぷり乗せて、隣のアメリカ人がそんなに食うの?と手振りで示してきたくらいの量をペロリとたいらげました。
食事を終わらせて退席しようとしたら、シェフらしい人が料理を追加に来たので、パリブレストを指差し、「メルシー、セボン!」と伝えると、「こちらこそ。今日はスペシャルで作ったんだ。気に入って貰えて嬉しい」との返事が返ってきました。
ホテル・メルキュール・サン=カンタン。
こんな風に、とても居心地の良いホテルでした。
次回も参加するなら、このホテルがいいな……と思わされました。
さて、朝食を終えたら、すぐに帰国準備に入ります。
この日の午後には、ホテルを出て帰国の途につくスケジュールなので、実は時間が結構シビアです。
朝食を終えた足で地下のバイク置き場に向かい、電装系を外して車体を分解。
バイクボックス内に、ドロップバッグ内の諸々も一緒に詰め込んでいきます。
電装系だけは、空港バックヤードで手癖の悪い奴らに抜き取り盗難されないよう、全てを機内持ち込みすることにして、部屋に引き上げます。
部屋に戻ったら、今度は急いで手荷物のパッキングです。
嵐の後のようにバタバタな室内を片付けながら、乾ききっている体が水分を欲していたので、部屋に備え付けのミニバーの冷蔵庫に入っていたドリンク(無料サービス)を全部、飲み干してしまいます。
結局、部屋を出たのは11時40分頃、
チェックアウトは11時まで……と聞いていましたが、別に遅れても特に問題はなかったようです。

その後、同宿の皆様と昼食に。
最後は豪華にステーキを頂いた。
これが本当に美味かったのだ。
サン=カンタン・アン・イブリーヌの町は、バカンスシーズンも終わり、そして各国のPBP参加者がイベント終わりに町を闊歩し、すごく賑やかになっていました。
到着直後、町中が静まり返っていたあの雰囲気は何だったんだ、と言いたくなるくらいの喧騒です(^^;)。
昼食には、ホテル近所のステーキハウスを選択。
なぜかここで、ちゃりけんさんとばったり(笑)。
ランドヌールの嗅覚は、だいたい同じところを探り当てるのでしょうか。
同じコースを体験した仲間同士、色々な話で盛り上がりました。
完走、DNF、関係なく、同じ時間を共有した仲間意識のような物もあって、とにかく話題は尽きない食事になりました。

食後のデザート。
すごく豪華な食事だった。
最後の最後にとても豪華な食事をとって、大満足でした。
本当に、今回のフランス滞在は食には恵まれましたね。
その後、カルフールで買物をしてからホテルに戻ると、アメリカからの参加者の方から、
「ヘイ、日本のみんな! 日本の反射ベストとこのジャージ、交換しない?」 と声がかかりました。
バイクボックスの取り出しやすい場所にベストをしまってあった私が、「これ、サイズは合うかな?」と取り出し、互いにベストとジャージを試着。
「ジャストフィット!」
というわけで、交換成立となりました。
握手する際、「このベスト、スタートからゴールまで、ずっと着ていた自分の勲章みたいなものだよ」と告げると、「おい、追加で金払おうか?」という話が(笑)。
「十分もらっているよ!」とジャージを示し、互いに礼を言い合って、握手でお別れとなりました。
あの日本反射ベスト、コース上でも、「それはジャパンのスペシャルメイドか?」「ジャパンのオフィシャルか?」と何度も聞かれましたが、やはり注目を集めていたようですね。
次回以降、各国のクラブによる「オリジナル反射ベスト」が多数、登場したら面白いだろうな!
(ジャージ交換より盛り上がりそうな気がする。というか、私も何種類か欲しくなると思う:笑)
そして、私が使った日本ベストが、今、アメリカの大地を走っているのだったら、それはとても嬉しい話です。


このとき交換した、RUSAのPBPジャージ。
来年以降、日本のブルベで、
機会があればどんどん着用する予定。
こんな風に楽しい時間でしたが、終わりが近づきます。
15時になったら、バスが大通りに横付けされました。
さあ、出発です。
ホテルのフロントスタッフに見送られ、一週間以上(うち4日間はコース上でしたが……)を過ごしたホテルを後にします。
シャルル・ド・ゴール空港まではバスで移動。
そして、そこからは直行便で羽田空港へ。
長い夏のお祭りは、名残惜しさとともに終わろうとしていました。
3.そして旅の終わり シャルル・ド・ゴール空港のバス発着場には、全日空の日本人スタッフの方が待機して、バイクボックスを受け取ってくださいました。
通常、カウンターで重量を計って……だと思いますが、この日はPBPツアーによる利用者が多数、同じ便を利用する予定だったことから、特別対応となっていたようです。
まあ、渡航時から荷物は特に増えていないはずですが、大丈夫だったのかな?(^^;)
空港内は、同じくPBPから帰国の途に着くと思われる各国の皆様でごった返していました。
私はリストバンドを外しそびれていたこともあり、カウンター、イミグレ、免税店内などで、見知らぬ外国人から「ヘイ!」と声をかけられ、同じようにリストバンドを見せられ、あんたもか!という感じで握手やタッチを交わしてニヤニヤする、という、妙な交流を持つことができたのでした。
あの「仲間」を見つけた、という妙な感覚、どう表現したら良いのでしょうね(^^;)。
スポーツに国境はない、とよく言われますが、こういう感覚をいうのかな、と、妙に納得してしまうところもありました。
とにかく、今回は職場に色々迷惑をかけた人がいるので、その人たちへの土産物で荷物がどんどん増えてしまい、何だかお上りさん状態になってしまったのが(^^;)。
その後、仙台のOさんはじめ、一緒に車検を受けたり、スタート前に何となく集まっていた皆様らと一緒に搭乗口付近へと移ると、もうあとは搭乗を待つだけとなりました。
この時間を利用して、フランスでの最後のツイートをTwitterに打ち込みます。
It's time to go back to Tokyo.
I appreciate all people who met in PBP.
And see you again in four years! 翻訳ソフトを挟んだので、変な部分もあるかもしれませんが、伝えたかった内容は以下の通りでした。
“東京に帰る時間となりました。
PBPで出会った、全ての皆様に感謝します。
そして、また4年後に会いましょう!” 当時の偽りのない気持ちでした。
英語で書いたのも、各国からの参加者、そして、何よりもフランスでお世話になった皆様に、どうにか届いて欲しかった思いがあります。
ならばフランス語で書くべきだったかもしれませんが、翻訳アプリの文面で正しくニュアンスが伝わっているか、私の語学力で判断できるのは英語がギリギリセーフだったので……(そして、複数の外国人の皆様から「いいね」をいただけたのでした)。
このツイートを送信した直後、機内への案内が開始されました。
終わって欲しくない時間が終わる時がきました。
さあ、12時間、狭いシートに縛られつつ、現実に帰ることにしましょう。
また4年後、私はここに帰ってくるでしょうか。
……多分、帰ってくるんだろうな、と、今となっては、そんな気がしています(^^;)。
(走行編、終了)

で最後に。
復路のヴィレンヌ・ラ・ジュエルでもらったこれ。
レコード盤なのだが、さすがに再生環境がない。
どんな音声が入っているのか聞いてみたいのだが、
どなたか、再生できた方はいらっしゃるだろうか?
いや、今もレコードプレーヤーの
販売が続いているのは知っているが、
これだけのために買うってのもね……。
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