日々是遊歩。見て、聞いて、感じて、それを殴り書き。

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行きて帰りし走行記録 PBP2019走行編 Part.5

 PBP2019終了から2週間以上が経ち、そろそろWeb上に多くの方が参加レポートなどを上げるようになってきました。

 いくつか、目を通させていただくと、私とはまったく違う時間帯で進んでいるだけで、同じ風景がまた違ったものに見えたり、出会った人がまったく違っていたり、PCの料理の印象などもそれぞれだったり、なかなか面白いです。

 当然のように完走している強い皆様。
 私同様、ギリギリの戦いを演じていた皆様。
 力及ばず、撤退行に転じた皆様。
 力は及ばなかったと知りつつ、ゴールまで諦めずに走行継続した皆様。

 それぞれのPBP2019が見えてきて、自分の体験と重なったり、違う視点に驚いたり参考になったり。
 CH1200のレポートの際、「1,000kmを超えるブルベは、参加者それぞれが違う旅を行うような感じになる」といった趣旨のことを書きましたが、海外で、ブルベの最高峰とも言われるPBPでは、さらにその傾向が強まるようです。

 私のレポートもそろそろ大詰め。
 この旅の記録が、他の参加者の皆様の目に、どのように映るのか、いつか機会があったらお聞かせいただきたいものです。

 では本題です。
 PBP2019走行編、Part.5をお送りします。

 折り返し地点のブレストを出発し、復路のルデアックには、思った以上に厳しい思いをして到着しました。
 往路のカレ・プルゲールで一旦、5分のタイムアウトになり、その後、ブレスト、復路カレ・プルゲールは時間内チェックを受けられましたが、ルデアックでは再び借金に転落です。

 今、思えば、無意識のうちに「復路に入り、時間制限が緩和される」ことによる油断が生じていたようです。
 そうならないよう、「ブレストは通過点にすぎない」ことを強く意識していたつもりですが、まだまだ甘かったのかな……。

 そして、ここから先の復路は、大きな借金を抱えて、その返済のために必死で走ることになるわけですが……。

 興味のある皆様は、以下のRead moreをクリックしてください。


1.Ludeac ~ Quedillac ~ Tinteniac
 マットレス式の寝床で顔にライトの光を当てられ、目を覚ましました。
 即寝になっていたのか、横になってからの記憶はほとんどありません。

 仮眠時間は1時間程度。
 体を起こすと、さすがに疲労が抜けきっていないことを実感します。
 もう少し寝ていたい、が本音ではありますが、熟睡感もあったので、すぐに出ましょう。

 今回、暗い時間帯にのみ、仮眠所を使用しましたが、起こされる時はどの仮眠所でも、こうやってライトを顔に当てられていた気がします。
 私はこれだけでも目が覚めましたが……アイマスクしていた人たちは、起きられたのかな?(^^;)
 (声掛けや、足、肩をポンポン、という起こし方もあったようなのだが……)

 さておき、仮眠所を出ると、安定の未明の冷え込みが酷い。
 私の体感と周囲の話からは、20~21日にかけての夜と、21~最終日にかけての夜は、特に冷え込みが厳しかったようです。

 ちなみに、聞いた話では、期間中の最低気温は3℃。
 走行中は走行風の影響で、さらに体感温度は低くなっていたそうです(GPS画面表示準拠で聞いた話)。

 この冷え込みの中でしたが、私は昨夜、睡魔に負けてパスしていたシャワーを浴びに行き、ほとんど誰も利用者のいないその場をほぼ貸し切りで占拠し、体を洗いました。
 この時、尻の擦り剝け部に貼ったハイドロコロイド絆創膏が、汗やその他の色々なものを吸って耐えがたい悪臭を放っていたので、ここで一度、デリケートゾーンも徹底的にきれいにしてから貼り直しました。

 上がったら寒くなるか、と思いましたが、意外に平気でした。
 装備を新しく清潔なものに換装し、気分も新たに出発の準備です。

 この後の装備は、ジオラインのメッシュアンダーシャツ(ノースリーブ)、ジオラインL.W.長袖、AJ-PBP2019半袖ジャージに、モンベルのサイクルレインスーツ、AJ-PBP2019反射ベスト。
 これで、朝4時頃の静止時でも特に寒さは問題を感じなかったので、今回は私の体の耐寒性、ずいぶん高かったようですね。

 さて、色々やっていたので、再スタート時には借金が4時間くらいになっていましたかね……。
 しかし、こういう展開は、5月の連休中に開催された「奥の細道1000」でも経験済みです。

 とにかく、制限時間が緩和されているはずの今日一日の走行(ヴィレンヌ・ラ・ジュエルまでを想定)で時間内まで戻し、最終日はしっかり眠ってゆるポタモードでランブイエ……なんて甘い考えでルデアックを出発しました。
 なお、今後、ドロップバッグは使えないため、あと一晩の走行を考えて、ライト用の予備バッテリーを荷物に追加していました。

 4時半頃、ルデアックを出発し、未明の真っ暗闇の中を走ります。
 中途半端な時間のスタートでしたが、意外に多数の参加者がいるもので、前方には赤いテールランプと、ライトのの中に浮かび上がる反射ベストの列が続き、後方からはギラギラと明るい光の塊がいくつも迫ってきています。

 まずは60km先の、WP5のケディアック。
 夜が明ける頃には到着できるでしょうか?

 往路でルデアックに到達する直前、延々と長い坂を登った記憶がありますが、復路でもなぜか延々、登っているような、変な違和感があります。

 あまりに疑わしかったので、本当に正しいコースか?と、GPSの画面を見ると、確かにオンコースで走っています。
 どちらから進んでも登り基調とか、エッシャーの世界に紛れ込んだ気分です。

 周囲の参加者も、かなり疲労が極限に来ているようで、登りの途中でフラフラしたり、道路外に止まっていたり、行き倒れていたり、様々です。
 また、見た目から判断すると、インドからの参加者でしょうか?
 堂々と左端を走っている人がいたりもします(インドは左側通行)。

 日本人の私も、ふとした拍子に左側に寄りそうになり、慌てて右に戻ったりしましたが、あそこまで堂々と左端を走れるなんて、ある意味強メンタルなんだろうな……(^^;)。


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やがて正面の空が明るくなってくる。
三度目の夜明けが訪れた。

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そして真正面から日が昇る。

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なお、暗い時間帯には、
こうやって足の合うグループに紛れて
走っていた。
この町の教会も、
尖塔の意匠が凝っている。


 ルデアックのレストランは混雑すると聞いていたので、今回は往復ともに使用せず、補給は携行糧食のみで済ませています。
 そのため、少し走ると、どうしても空腹感が出てきてしまいますが……その前に、ちょっとピンチな状況を迎えている事項もあったりします。

 その時、とある町の教会近くの建物から、西洋人参加者が自転車を引きずり出してくるのが見えて、思わず停止。

 「それ、トイレ?」
 「そうだよ」

 オッケー! 人としての尊厳は守られた!
 PCのトイレは行列していたので、何となく出しそびれて来てしまっていたのですよね。

 なお、PCのトイレ渋滞は場合によっては酷い状況であり、次のPC、次のPC、と我慢して走っているうちに、のっぴきならない状況に追い込まれてしまった人もいらっしゃったとかなんとか……。

 2015年までのPBPで、トイレ渋滞を経験していた日本人有志の中には、コース上のトイレマップを公開してくださっている皆様もいたりしました。
 フランスの公衆便所、実は結構あちこちにある(教会近くには設置されていることが多いらしい)のですが、見た目が日本のそれと異なっているため、一見すると見付け辛いのですよね……。

 なお、私が今回、コース上で利用した公衆便所においては、便座設置率が0%(笑)。
 微妙な角度の空気椅子か、車椅子利用者用?の手すりにつかまって、頑張りながら踏ん張る、という器用な技を披露しないと駄目なのでした。

 とりあえず、紙はトイレ備え付けのペーパーを使うとともに、ポケッタブルサイズのトイレに流せるウェットティッシュを持ち歩いていたので、最後の仕上げをそれで行い、コースに復帰。
 色々な意味で晴れやかな気分になり、先に進むことができました。


190818b0.jpg
そして到着。
WP5、ケディアック
ここで朝食とした。
(21日、8:45頃)


 時計的には、約2時間の借金状態。
 しかし、ルデアックで仮眠やシャワーで使った時間が借金になっているので、まあこれは仕方がないでしょう。

 ケディヤックは食事のみ提供のWPでしたが、ソーセージのガレットがめちゃくちゃ美味しかったので、復路でも停止して食事にしました。
 今度は地元料理らしい肉の煮込みがあったので、それも頂くことに。

 この肉の煮込みが絶品でした。
 じゃがいもと牛肉(筋肉っぽい)、そして多分、チーズらしい何か(日本で食べたことがない感じの物)が、味が染みてトロトロになるまでじっくり煮込まれており、ここまで走ってきて疲れた体と胃腸でも、どんどん腹に入っていきます。

 気が付いたら、胃の不快感もどこかに消えており、物凄く満足できる食事が終わっていました。
 食器類を片付けようとしたら、ボランティアのおじいさんに、そのままでいいぞ、と身振りで示されたので、空になった皿を指さし、「C'est bon!」と告げると、そうかそうか、という感じでにっこり笑ってもらえました。

 さて、満足な補給ができたところで、タンテニアックに向かいましょう。

 ケディアックからタンテニアックは26km。
 感覚的には、もうすぐ到着、という所です。


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復路、朝日の中の
メドレアック。

190818b2.jpg
途中でもう一度、
トイレ休憩を入れた。


 この時はまだ元気があったのか、体感時間ではまもなく、という感じでここに到着できました。


190818b3.jpg
PC10、タンテニアック
(21日、11:15チェック)
画像はPCから出発するところ。

この時間、ごく僅かながら、
ブレストを目指す人もいた。


 借金、約2時間半。
 借金はほとんど返済できていないどころか、ちょっと増えてます。

 とにかく、本日の目標は、フジェール、ヴィレンヌ・ラ・ジュエルへの到達までに時間内に戻すことですから、この段階ではまだまだ、騒ぐほどのことではない……。
 と自分に言い聞かせますが、少々焦りが出てきました。

 とにかく、フジェールはタンテニアックから54kmと比較的近いため、それほど借金を返済できないかもしれません。
 しかし、フジェールからヴィレンヌ・ラ・ジュエルまでは89kmありますので、昨日までと同じペースを出せれば、問題なく借金を返せるでしょう。

 また、タンテニアックではケディアックの食事がまだ腹に残っていたので、チェックと水の補給だけでリスタートです。
 とにかく先を急ぎましょう。

 手元の記録では、11:30にはリスタートし、コース上に復帰していたようでした。

2.Tinteniac ~ Fougeres
 タンテニアックをチェックと水の補給だけですぐに出発し、さらに東のフジェールを目指します。
 コースは往路の折り返し。という事は、延々と続くアップダウンを越えて進む必要があります。

 周囲は長閑な牧畜風景や、麦、トウモロコシの畑が続きます。
 そんな風景を楽しみながら……と行きたかったのですが。

 復路のこの段階になって、もう全然、ペースを上げられないことに気付きました。

 理由は簡単。
 延々続くアップダウン走行のため、体幹の疲労が限界に達して、もう踏ん張れない。


190818b4.jpg
ずっとずっと、
こんな道が続く。


 足は回るのですが、それを支える体幹の方に力が入らないため、スカスカと力が抜けている感じがします。
 体幹の方は、というと、骨盤の上からあばらの下までのすべての筋肉が強張って、満足に力が入らない状態です。

 おかげで、斜度も、規模もそれほどではないはずの登りでさえ、どんどん軽段に追い込まれ、全然出力を上げられません。
 それが物凄い高頻度で続くのですから……全然ペースが上がりません。

 あと、この区間も微妙に向かい風でしたね……。
 往路で散々、吹き付けてきたんだから、復路では押せよ、と何度思ったか(^^;)。

 まだ元気で負荷を上げても大丈夫だった往路と比べ、疲労が蓄積してきた復路では、弱い向かい風でも結構、効きます。
 気付いたら、下りなのに20km/hを切ってる場所もあったとか、もうどんだけやねん、としか……。

 こんな風にグダグダな状況だったので、往路のようにペースが伸びるはずもありません。
 とにかく、意識して20km/hを切らないように……という低空飛行で前進を続けていくことになりました。

 また登りか、また登りか……と嫌になるほど繰り返すアップダウンの中で、「フランス人よ、堀割りとかトンネルって知ってるか?」という無意味な問いを空に向かって発してみたりしました(なお、PBPのコース上にはトンネルが一ヶ所もない)。


190818b5.jpg
どこかの町で踏切停車。
なんかカッコイイのがいた(笑)。


 この先でちょっと思いついて、西洋人参加者が良くやっている、下りで一気に加速して。その勢いで反復登坂、という走り方を試してみます。

 ……ある程度、楽になりましたが、決定的ではない。
 しかし、もしかしたら最初からこの方法で走っていれば、登りでゴリゴリ頑張る頻度も減って、楽に走れたかもしれない……。

 この段階で、かなりグダグダになってきた頭で考えた内容を、冷静になった今、再度、まとめ直すとすれば……。

 ここで考えていたことは、PBPの完走を本気で目指すのであれば、「フランスでブルベの完走を目指す走り方」を体得しておかないと、何度挑戦してもPBPでの完走は難しいだろう、という事でした。

 そもそも論として、日本とフランスでは、国土の地形と、道路整備の基本的な考え方が違い過ぎて、「日本のブルベで完走を目指す走り方」がイコール、「フランスで完走を目指す走り方」にはならないと思われます。

 日本の地形は、地形輪廻の段階図で言えば、壮年期~老年期のイメージになるでしょう。
 そこそこはっきりした山岳があり、谷底平野が発達し、道路を整備する際には、地形を見て川沿いの平坦な場所を中心に作られます。
 どうしても山岳地を超える必要がある場合、できるだけ緩やかな斜度で登れる場所を縫い、稜線の最低地点(鞍部)を超えるように(場合によってはトンネルで山を抜くように)線形が引かれます。
 よって、日本のブルベのコースは、峠越えの登りなどの難所と、20~25km/h程度のペースを維持すればまず問題ない平坦部がはっきりとしており、「力のかけどころ」や「走りながら休める場所」が明確です。

 反面、フランスの地形は、地形輪廻の段階図で言えば、準平原のイメージ。
 小高い丘が幾重にも続き、道路は多少、地形に左右されるものの、基本的に丘陵地をまともに横切って都市から都市へ、最高効率で繋ぐ形で整備されています(少なくとも、PBPのコースでは)。

 つまり、フランスの地形と道路を走る場合、小高い丘を何度も越える道となり、強制的にインターバルトレーニング的な走り方が求められます。
 その中で時間内に完走するためには、「長時間、高出力を維持して走れる体」を作っておかないと駄目だ、ということを、今回は痛感させられました。
 日本的な、「力をかける所は頑張って、他は休んでギリギリ時間を目指す」という走り方に慣れていると、フランスでは全く休みどころを見つけられず、ズルズルと消耗し、往路の早い段階で自滅するパターンが多いのではないでしょうか(というか、2015年の自分がまさにそのパターンだったと思う)。

 これまで、日本人の完走率が低いことの原因として、時差や気候の違い、渡航疲労などが良く取り上げられますが、今回、PBP2019を走って私が個人的に考えたのは、以下の内容でした。

 時差:どうせ走行中は不規則な生活リズムになるのであまり関係ない。
 気候:日本にも同じくらい昼夜の寒暖差が大きい季節はある。南方系の皆様よりずっと有利。
 渡航疲労:これは遠方からの渡航なら普通にあるはず。日本だけの理由にはならない。

 こうした事を考えると、上記の3つの理由以外に、もっと根本的な部分で、「その国土に応じた走り方」が全く違うため適応できていない事を疑ったほうが良いと思います。

 フランスの地形と道路整備の特性を考えると、「平常で求められる基本の出力」が日本のブルベの完走ペースより遥かに高く、そしてそれを4日間、維持することを考えないと駄目でしょう。
 レース等で走ることも考えて(あるいは、そういう志向の皆様と一緒に走るなどして)鍛えている人であれば、それほど苦労せずに完走できますが、私同様、「ブルベしか走らず、ギリギリ隊でのゴールを目指す人」は、相当に意識を変えないと完走は難しいと思います。

 私が序盤、物凄く良いペースで走れたのは、恐らくはZwiftなどのバーチャルライドのワークアウトで、1時間程度、FTPの90~95%を維持する、というトレーニングメニューをこなしていた結果、ある程度まではフランスでの走り方に体が対応できていたのだと思います。

 しかし、それが3日目ともなると、バーチャルライド歴半年程度のメッキは見事に剥がれ、体力的に追いつかなくなってきたように思われます。

 さらに言うと、スマートトレーナーを使用している場合、フレームがトレーナーに固定されている場合が多く、「車体を固定された状態に慣れてしまう」ことから、実装での車体制御が下手になっている事を実感することも多くあります。
 特にヒルクライム中に感じる、物理的な「体の重量感」は、現在のバーチャルライドでは再現できないと思います。

 やはり、実走も場数を踏んでおかないと駄目でしょう。
 今回のPBPで、「バーチャルトレーニングは有効だが万能ではない」ことを、本当に痛感しました。
 (というか、こういうお土地柄なので、e-Bikeの需要がめちゃくちゃ高いんじゃないかとも思えてくる)

 とまあ、そんなことを、向かい風に押し返されるため全く出力を上げられず、グダグダで苦しい思いをしながらエンドレスでアップダウンする道に痛めつけられながら考えたわけです。
 考えたところでその場の道が平坦になってくれるわけでもなく、「早く終われ、コノヤロー!」という気分しか出てきません。

 そして悪いことに、フジェールは典型的な城塞都市。
 どの方向からも必ず、一回は丘陵を越えないと到達できず、市内に入ってもPCのある中心街地域までは、厳しいアップダウンを越えて行かないといけません。

 急勾配のアップダウンが続くこの区間、郊外でも市街地でも、坂で押し歩いている参加者の姿が目立つようになりました。
 ただし、フジェールの市街地内は車の通行量も多いため、追い越す時に、かなり注意しないといけないのが厄介です。


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フジェール城の見学入口付近。
立ち止まる余裕もなく流し撮り。

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近年整備されたらしい道路から見る、
フジェールの旧市街地。
手前の崖はフジェールの城壁から続くもの。

地形を利用した天険の要害といった感じで、
まともに戦争を意識した城塞であることがわかる。


 実際、このフジェール城は何度も戦いの場になっているようです。
 現在は2haほどの城塞施設が都市の中にそのまま残っていて、中世の城郭としては欧州随一の規模を持つとか。

 今回、私はあまり余裕がなく、結局、フジェール城をゆっくり見ることができなかったので、本当にいずれ別の機会にゆっくり見に来たいですね。

 そして、色々グダグダな状態で、何とかPCに滑り込みました。


190818b8.jpg
PC11、フジェール
(21日、15:07チェック)


 Nグループのクローズが12:56なので、借金は約2時間。
 減りません。
 全然減ってくれません。

 制限時間は緩和されているのに、あまりに何度も繰り返すアップダウンのため、出力もペースも上げられず、緩和の恩恵が完全に相殺されています。
 向かい風の影響も多少はありますが、何より、これだけ何度も繰り返されるアップダウンがとにかくきつい。体が全くこれについて来れていない気分です。
 復路のルデアック以降、ギリギリ隊や借金返済組は、本当に苦しい戦いを強いられている人が多かったように思います。

 私もこの時は、走っても走っても減らない借金を前に、アリジゴクに落ちたような気分でした。
 足掻けど足掻けど、足元が崩れて前に進まない……。

 こういう気分ではだめだ。
 焦りが出たり、気持ちが沈んだ時こそ、必要なものといえば……食事だ。
 よし、メシにしよう。

 フジェールのコントロールは広いため、レストラン棟まで自転車で移動し、スープとパン、メロンの切り身などのフルーツで補給を入れます。

 カチカチに固いパンを細かくちぎってスープに浸して柔らかくしながら食べていましたが、最後は面倒になって、ちぎったパンを全部スープに投入し、グチャグチャにかき混ぜておかゆのようにしてからかき込む、という、かなり行儀の悪い食事になりました。

 そして、腹に物を入れたら、さすがに気分も落ち着いたので、残り時間を計算しようとスマホと簡易キューシートを取り出し……。

 ………………ガタガタと、耳元の食器が片付けられる音で目覚めました。

 ボランティアの方が、食事が終わった私の食器を下げてくださったようでした。

 体を起こそうとしたら、いいからそのまま、と手振りで示され、なんのことだっけ……とぼんやり考えたら……時計が40分ほど進んでいることに気づきました。
 どうやら、これから先の修正スケジュールを考えようとして、そのまま寝落ちていたようです。

 現在、時刻は16時を回ったくらい。
 借金は見かけ上、 3時間に増えました。

 ……やってもーたか……。

 痛恨の一撃だな、と思ったものの、もうなんだか開き直った気分にもなってきます。

 次のPC、ヴィレンヌ・ラ・ジュエルのクローズまで4時間を切っており、区間距離は89km。
 今の体では、当初思い描いていた、今日中に時間内スケジュールに戻す戦略はどう考えても放棄せざるをえません。

 では、次はどうするべきだろうか……。
 簡易キューシートを見直すと、次のPC、ヴィレンヌ・ラ・ジュエルに至れば、走行距離は1,012kmに達し、ランブイエまでの距離は207kmになることに気づきます。

 次のPCからゴールまで、1ブルベの距離か……。
 そこに13時間を残せれば……まだ、何とかなるんじゃないか……?

 先人の記録から、途中、どれだけタイムアウトが続いても、制限時間までにゴールしたら認定扱いになる「こともある」という話は、何度か聴いたことがありました。

 Nグループのゴールクローズは、明日の13:15分。
 ヴィレンヌ・ラ・ジュエルを0時に出られれば、まだギリギリで何とかなるかもしれない。

 次のPCをゴールに向けて出発するのは、今から8時間後になる計算です。
 ならば、この8時間のうち、できるだけ早くヴィレンヌに到着し、しっかり休んで最後の1ブルベに勝負をかけよう。

 この時、戦略をそう変更しました。
 おそらく、今の自分にできる、最後の手段でしょう。

 寝ても、食べても、休んでも、体に十分な活力は戻ってきていません。
 気持ちもあまり上向きにはなりません。

 次のPC、ヴィレンヌ・ラ・ジュエルまでは89km。
 スタート直後の体なら、4時間と少しで到着できるであろう距離ですが、今の、疲れ切った……というよりも、衰弱した、と言ったほうが正しい表現になる体では、何時間かかるか、全くわかりません。

 でも、この最後の賭けに全力を尽くす。
 そう考えて、人もまばらになりつつあるフジェールのPCを16:30頃、出発。

 フランスの長い昼も終わりかけ、影が徐々に長くなりつつありました。

3.Fougeres ~ Villaines-la-Juhel


190818b9.jpg
復路のフジェールの出口にて。
すでにブレスト方面への矢印はなく、
大量のパリ方面の矢印と、
ツール最終日、シャンゼリゼの写真。

さあ、あそこまで走っていけ、
と応援されている気分だった。


 例によって、市街地内の強烈なアップダウンを越えて、フジェール市街地を東に出るルートに進もうとします。

 しかし、私がGPSの通りに、そこそこきつい坂を登っていくと、地元のサイクリストが追いかけてきて、こっちはパリへのコースじゃないぞ、と声をかけられました。

 GPSの画面を示し、

 「この、青いライン(コースを青色で表示していた)沿いに進むよう指示されているんだ、だから、こっちに進む」

 と答えると、少々困った顔で、気をつけろ、と言われてその場は別れました(そのサイクリストは、私同様、あまり英語が堪能ではなかったらしい)。

 さらに坂を登り、いくつかの交差点を越えましたが、そこにパリ行きの表示が出ていなかったことに気づきます。
 うん……? どういうことだ、と考えて戸惑っていたら、大通りの反対側から大声でヘーイ!と声がかかりました。

 反射ベストを着た参加者らしいサイクリストが、引き返せ、引き返せ、と合図を出しながらすれ違っていきます。
 先ほどの地元のサイクリストの指摘といい、今の参加者の声がけといい、もしかしたら、この辺りもコースが変更されているのか、と、この時になって気づきました。

 次は交差点だったので、交差側の青信号に合わせてUターンして、今登ってきた坂を下っていきます。
 途中で、先ほど声をかけてきたサイクリストが現れ、ほら言っただろう、という感じでついて来い、と合図を出されました。

 随分下ったところのラウンドアバウトで、パリ行きの表示が出ました。
 GPSの地図で見ると、事前に公表されたルート(市街地の街路)から一本東側にある幹線道路を通って、往路に通ってきた都市間幹線道路に繋がるようにルートが変更されているようです。

 案内をしてくれたサイクリストに、「メルシー・ボークー!」と大声で礼を言って別れ、フジェールの街を抜けました。
 なんだか復路では、地元の皆様に助けられてばかりだな。しかし、本当にありがたいよ。


190818c0.jpg
新たに市街地脱出ルートに設定された道路は、
真新しい幹線道路だった。


 新しい道路は日本のバイパス道路と同様に、幅が広くて勾配も緩やかで一定で、とても走りやすい道でした。
 また、先ほど、歩い程度進んだ市街地の街路と比べて交通量も少なければ信号もなく、なるほど、安全を考えたら、こっちに変更するよね、と大納得の道筋です。

 少し北上したところで都市間の幹線道路に行き当たり、そして例によってのアップダウンの道が始まりました。


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相変わらず繰り返されるアップダウン。
風が少し弱くなったのが救いか。


 この区間は、先ほどのフジェールまでの道同様、時折、小さな町や村を通りながら続く、終わりなきアップダウンです。
 すでに体幹はこわばって、円筒形の固い何かになった気分でヨロヨロと前進を続けます。

 ホントに、いつまでもどこまでも、高負荷高出力が求められるな……このコースは……。

 そろそろ距離がフジェール、ヴィレンヌ・ラ・ジュエル間の中間地点になる頃だ、と思った頃に、道路の反対側の交差道路入口から、カフェー、ウォーター、と声がかかります。
 ボトルの残量が少々、心もとなかったのと、ちょっと気分転換したかったので、ここの私設エイドにお世話になることにしました。


190818c2.jpg
ここの私設エイドで、
水の補給とともに、暖かいコーヒーと、
カステラのような菓子パンをいただいた。
(21日、19:15頃)


 ここのエイドには、かなり英語に堪能な若者が二人いて、色々な会話に応じていました。
 そして日本人を含む参加者が数人、周囲に広げられたエアマットの上で寝ている……。

 「やあジャパン、コーヒー、ショコラ、水、どれがいい?」
 「コーヒー、プリーズ」

 暖かいコーヒーは本当に落ち着きます。
 人心地ついた気分でいると、英語に堪能な若者が、色々な事を聞いてきます。

 日本からフランスは、何時間かかる?
 今日だけで日本人をたくさん見たが、何人くらい来ているんだ?
 まだ沢山、後ろにいるのかい?
 等々

 かなりブロークンな英語ながら、それなりに受け答えできていたので、どうやらそこそこコミュニケーションが取れる相手だ、と思われたようでした。

 「そういえば、日本人はみんなソロライドだね、何でグループを作らないんだい?」

 日本のブルベでは、各個に自分のペースで走るのが一般的、というか、自転車趣味にはまる人は独立心が強い人が多い、という辺りが模範回答なのでしょうが……。

 「日本人はソロライドが好きなんだよ。ジロ・ディターリアの初山みたいにね!」

 思いついて、するっと口から出たジョークは、その場にいた数人の参加者を巻き込む笑いを誘いました。
 いや、あれはソロライドじゃなくて、グレートエスケープですけれどね。
 それにしても、あの大舞台で一人大きく飛び出して走っていた初山選手の姿は、ずいぶん世界中のサイクリストの胸に焼き付いているようです。

 それが良かったのか何なのか、一緒に写真を撮らせてくれ、と、私設エイドの皆様にお願いされて、快諾。
 私のカメラも差し出して、こっちもお願い、と撮ってもらいました。

 その後、エアマットで寝ていた日本人参加者が目を覚まし、挨拶と、ちょっとした情報交換程度、声を交わします。
 私より前にスタートしたグループの方で、あまり仮眠の時間が取れず、苦しい状況になっているとの事でした。

 さて、そろそろ滞在時間が気になってきたので、出発することにします。

 「ヴィレンヌ・ラ・ジュエルまでは、あとどれくらいの距離かわかる?」
 「ここがフジェールからの中間地点だよ。残り半分だ」
 「OK, ハーフウェイ、ハズ、パスト。では残り半分、行くよ」
 「グッドラック!」

 声援をいただき、再びコース上へ。
 気付いたら、太陽は大きく西に傾き始めていました。

 それにしても……ちょっと心の中に引っかかる物もありました。

 日本人はソロライドが多い。
 それもまた、完走率が低い一因ではないか、と。

 ソロライドだと、自分が疲れてヘタっていても、それに気づかない時も多いんですよね……(下り坂で15km/hしか出ていなかったとか……)。
 パック走行だと、速度を周囲に合わせて走るため、相対的にソロライドより速く走れています。
 風除け効果とかそんな事よりも、周囲と歩調を合わせることが、最もペースの維持に効果的だったりするのです。

 これも、日本のブルベのギリギリ隊走行感覚では対応できないことの一つでしょう。
 PBP走行中、ふとしたタイミングで足が合う人たちのパックが自然発生することが良くありましたが、それに乗って走るだけの脚力がないと、短時間で切れ落ちたりもしましたからね……。

 私のようなギリギリ隊常連は、こういう所も考えて走り方を変えないといけないのかもしれません。

 日本でこうした訓練をするなら、フレッシュを走るか、エンデューロ系のレースイベントで自然発生する集団に乗って走ることを覚えるか……。


190818c3.jpg
二日目の朝、補給に立ち寄った
アンブリエール・レ・ヴァレーの町の公園で、
お手洗いに立ち寄った。


 往路で食事、復路でお手洗いでお世話になるとか、この町、今回は色々縁があるな(^^;)。
 また、この町の私設エイドで水の補給をさせてもらったりもしており、この川沿いの町は、私的には思い出深い場所となりました。


190818c4.jpg
ランブイエまで、
残り250kmの手書き標識。

190818c5.jpg
そして20時を回り、
自分の影がずいぶん長くなった。

190818c6.jpg
肩越しに撮った夕日。
まもなく、最後の夜が訪れる。
(21日、20:10頃)


 アンブリエール・レ・ヴァレーまで来たら、ヴィレンヌ・ラ・ジュエルまでも、かなり近くなっているはずです。
 往路では2時間程度で辿り着いていますので……復路は町の目の前から登りに転じることを考えたら、2時間半くらいかかるかな?

 日が長いフランスでも、さすがにその間に夜が訪れるでしょう。
 また睡魔との戦いになりそうなので、何か対策を考えたほうがよさそうですが……。


190818c7.jpg
アンブリエール・レ・ヴァレーの隣町、
ラセ・レ・シャトーでは、
中央広場で参加者たちが多数、
休憩などで止まっていた。


 ラセ・レ・シャトーの町で、スーパーマーケットを発見。
 何か眠気覚ましになるものはないだろうか、と思い、立ち寄ることにしました。


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ミントタブレットがあったので購入。
そして、日本では見ないタイプの
ハリボーもあったので試しに購入。


 このミントタブレット、眠気覚ましになるかと思って購入しましたが、ここまで乾燥した空気をハアハアと激しく呼吸してきて、どんどんダメージがたまっていた喉に効くという、想定外の効果を示してくれました。
 この後、帰国した直後くらいまで、参加者の間では喉をやられて体調を崩した、という人が結構いましたが、私はこのタブレットのおかげでそう言ったトラブルとは無縁でした。

 ちなみに、このハリボーはかなり柔らかいグミで、歯に貼り付いて食べづらい……(^^;)。
 とりあえず、あまり持ち歩きに向かない(溶けてしまいそうな)感じだったので、この時、一気に食べてしまいました。

 なお、このラセ・レ・シャトーの町は、中央広場周辺にスーパーマーケットや、バーが数件立ち並ぶ賑やかな町でした。
 それもそのはずで、ここ、名前の通りというか、ラセー城(Chatezu de Lassay)というお城の城下町で、そこそこの観光地のようでした。
 ラセー城自体は、それほど大きな規模のものでなく、騎士団の詰所というか、それくらいの小規模な城塞ですが、ノルマンディ地方と、ここの南にあるル・マンとの間にあるため、街道上の要衝として栄えた時期もあったのかもしれません。

 ちなみに、ラセー城はコースの近くであり、立ち寄りもすごく簡単そうです(また、2015年のオフィシャルDVDでは空撮映像が収録されていた)。
 次回、参加できたら、寄ってみても良いかもですね……。


190818c9.jpg
この辺りで、
eTrex上の総走行距離が
1,000kmに到達した。

ここはまだ、
ラセ・レ・シャトーの町の中だ。


 ついに、総走行距離が1,000kmに達しましたが……。
 この走行距離、実はPCの中をぐるぐる走り回っている時の距離も乗っているため、この時点で+10kmくらいの誤差が乗っていました。

 PCの中の移動距離は、多い時は1km以上にも達します。
 特にフジェール、カレ・プルゲール、ブレストなど、施設が大きかったり、誘導路が長かったりするPCでは、誤差が大きくなります。

 今回はeTrexの方で総走行距離を見て、V3nでPC間距離を見ていましたが、公式のキューシート等で発表されていた各PCごとの区間距離は、PC出口〜PC入口までの距離であり、PC施設に進入する誘導路などは含まれていませんでした。
 こうした所でじわじわ時間が削られているため、後の方になればなるほど、貯金を作りづらかったのかもしれません。

 まあ、PCでレストランやトイレに並んだりして、停止時間が長くなるのが、最も大きな要因なのでしょうが……。


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そして日は沈み、
最後の夜が訪れた。
(21日、21:30頃)


 ヴィレンヌ・ラ・ジュエルまで20kmほどを残し、太陽は地平線の向こうに沈みました。
 最後の夜が訪れます。

 日没ぐらいにル・リベの町に到達し、多くの参加者が足を止めている私設エイドの先で、N12を渡ります……が。
 ここで青い回転灯を点けた救急車が待機しており、交通案内のボランティアから、止まれ、の合図を受けます。

 事故だろうか?
 ボランティアの人に、「アクシドン?(Accident?)」と尋ねてみますが、多分ね、という答えのみ。
 救急隊も、正確な現場情報を得ているわけではなさそうで、本部との通信で状況を把握しようとしているようです。

 5分ほど経って、救急車はパーポーパーポーというサイレンとともに、これから私達が向かう方向へと走っていきます。
 この先で、何かトラブルがあったのだろうか。
 参加者が巻き込まれていなければ良いのだが……。

 そんな思いとともに、どんどん暗くなっている中、ル・リベの南の森林地帯の長い登りに入ります。
 ライトの光の中に見える道幅はそれほど広くなく、なんだかルデアック到着前の、狭くて暗い急カーブ続きの道を思い出します。

 往路は、明るくなってからヴィレンヌ・ラ・ジュエルを出発しているため、ここも朝、明るくなってから通過しているはずです。
 しかし、特に印象に残っていないので、明るい間は特に問題なく通過できるような場所だったのでしょう。

 しかし、暗くなったら、こんなに危険を感じる道だったのか。
 往路で無茶して、道路脇に突っ込んだ人とか、いなければ良いけれど。

 とか考えているうちに坂の頂点を越えて、下り坂に入りました。
 車体は下り勾配の道に入り、スルスルと加速していきます。
 道幅は相変わらずそれほど広くなく、マイクロスリープに落ちて道路脇に突っ込んだら、今度こそ無傷では済まないだろうな、という雰囲気が漂っています。

 速度が出過ぎないように注意しながら下って行くと……。

 先程、先行して進んでいったらしい救急車の回転灯が前に見えます。
 道路は緩やかな左カーブ。

 そして、救急隊員らしい人に、「 Stop! Stop!」という指示を受けました。

 「アクシドン?」

 そう問いかけると、「イエス」との答え。
 救護作業が終わるまで、待機しろ、というような事をフランス語で告げられます。

 バックミラーに、カーブの向こうから明るい光がいくつか飛び込んできました。
 おっと、後続車両か。
 ハンドルのVOLT 1700を取り外し、止まれ、の合図のつもりで後方に向かってクルクルと回転させて見せます。

 意図は伝わったようで、救急隊員の方の制止よりも早く減速に入った様子です。
 数人のグループ(言葉の響きから、ラテン語圏の国の参加者らしかった)が後方に止まり、気遣わしげな声が飛んでいます。
 救急車が止まり、先行していた参加者が止められていれば、嫌でも事故を連想させられますからね……。

 しばらくして、行っていいぞ、の合図が出たので、救急車の横をすり抜けて前進を再開しますが……。

 その先で、カーブの外側の道路端に突っ込み、フロントホイールがポテチにひしゃげたバイクと、そのライダーらしい人が救護を受けている姿が見えました。

 ああ、やってしまったのか……。
 そうなったらまずいな、と考えていた通りの事故のようです。

 救急隊が到着しているので、私に出来ることはなさそうです。
 事故現場を横目に、先を急ぐことにします。

 アルダンジュの町を過ぎたところでD113を左折するよう、矢印が出ています。
 そのまま、D113を進んでいったら、ヴィレンヌ・ラ・ジュエルの町に入りました。

 PCは、この町の市役所や教会などが集中している、本当に町の中枢区画にあります。
 そこに近づくと、もう深夜だというのにまだ沢山の人がいて、到着する参加者に大きな声援が飛んでいました。

 「ブラボー、ジャポン!」

 私にも当然、そんな声が飛んできて、コースの左右に設置された簡易フェンス越しにタッチを求める手がずらっと並んでいます。
 このPC名物の大音量放送も、絶好調に鳴り響いています。

 これが昼や夕方だと、もっと沢山の市民が詰めかけており、本当に大騒ぎになるといいます。
 私の到着時刻は22:30を回っていたので、さすがに子供たちの姿が少ないなどの変化はありましたが、まだまだ熱心に参加者を激励しようと、沢山の市民の皆様が詰めかけていました。

 今度は入口側になる位置に設置されたセンサーを通過。
 もはや聞き慣れた、「ピーッ!」という感知音が2回、響きます。
 (どのPCでも、センサー感応ゾーンは、2mほどの幅を置いて2箇所に設置されていた)

 やっと……やっと到着したぞ……。
 気分的には、そんな感じでした。


PC12、ヴィレンヌ・ラ・ジュエル
(22日、22:35チェック:画像なし)


 精神的にほとんど余裕がなかったようで、復路のヴィレンヌの撮影画像はありません。

 Nグループのクローズは20:01。
 借金は結局、返済できなかった……という以上に、30分余計に積み上がっています。

 正直、状況はかなり厳しい、と言わざるを得ません。
 ですが、ランブイエまで残り207kmに、14時間半の時間を残せました。
 ここで0時まで仮眠し、最後に繋げましょう。

 コントロールの隣の軽食で、レーズン入りのパンを二つ、ひっ掴んで会計し、かじりながらボトルに水を補給してバイクにセット後、仮眠所に向かいます。
 ここの仮眠所は往路でも利用したので、勝手は分かっています。

 受付で、 0時(24時)に起こしてくれと、時計の文字盤と筆談でお願いし、仮眠室に設定された建物まで、子供のボランティアに案内してもらいます。
 数人がマットの上で寝ている室内に、指示通りシューズを脱いで入り、私もそこに横になりました。

 窓の外から、このPC名物の放送と、参加者に向けた大声援がまだ響いています。
 ですが、眠りを邪魔されるほどではなく、逆に耳に心地よい響きに感じられました。

 0時に再スタート。
 ランブイエのゴールクローズは13:15。

 最後の13時間で、最後の207kmの勝負に出る。

 それだけを考えて、薄い毛布を被って目を閉じました。

(続く)



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YO-TA

Author:YO-TA
2018年1月に、東北勤務から再び東京に転勤となりました。
相変わらず、デジカメ片手に、サイクリングやハイキングを楽しんでいます。
突然、突拍子もないことをやらかしますが、それはまあ、ご愛嬌という事で…。

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