日々是遊歩。見て、聞いて、感じて、それを殴り書き。

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ハイスピード・ナイトライド BRM804宮城200km加美戸沢200 Part.3

 この記事執筆段階で3日後に迫ったClover Hokkaido 1200ですが、事前の準備はほぼ終了し、相棒となるエンメアッカ号の装備等も決まりました。

 今回は、300kmごとに帯広のベースに戻れるので、ツーリング用のリアバッグは使わず、大型サドルバッグを使用する、セミバイクパッキング装備で行くことにします。
 また、すでにドロップバッグは発送済みですが、自分が現地入りする際には、1〜2日分のウェア類を担いでいき、荷物のロストや遅着があっても、当座は凌げる装備構成で行きたいと思います。

 さあて、どんな結果になることか……。

 では本題です。
 ランドヌール宮城主催のナイトライドブルベ、レポートのPart.3をお送りします。

 PC3の到着時刻がPC2のクローズとほぼ同じ(貯金約2時間)でありながら、絶賛、最下位争い中という、良く分からないレベルのハイスピード展開です。
 もともと、宮城ブルベ時代の私のゴール時間は、下から25%以内だったことを考えたら、まあ、いつも通りとみて良いのですが(^^;)。

 さて、PC3から先は、一度、尾根越えの登りがあるものの、全体的に平坦か、気付かない程度の微妙な勾配の下り基調が新庄市街地まで続きます。

 と、いうことは、ハイスピード展開に、拍車がかかっていそうなんですよね、これが(^^;)。

 まあ良いや。
 とりあえず、残り80kmのうち、中間地点くらいの位置に、最上川300での最終PCに設定される赤倉温泉のコンビニがありますので、まずはそこまで行こう、ということで、国道13号沿いを南へとスタートしました。

 という訳で、興味のある皆様は、以下のRead moreをクリックしてください。

1.薄明の空へ向かって
 PC3を出発後、国道13号沿いにひたすら南下を続けます。
 時折、大型トラックが通る以外、それほど交通量はありません。

 鳥海高原400で走る時と、時間はだいたい同じくらいでしょうか。
 やがて午前3時頃になるため、東の空が晴れていれば、稜線から光が漏れる様子が見えてくるはずです。

 これから先は夜明けに向けて徐々に明るくなっていく時間です。
 と同時に、気温がぐっと落ちる時間帯にもなります。まあ、盛夏期なので、落ちると言っても、夏服では寒い程度(エアコンが効きすぎた室内くらい)だろう、と考えていましたが……。

 実は、PC3を出発する前後くらいには、汗冷えかそれとも気温の影響か、少し体にブルッと来るくらいの涼しさのちょっと強い感じが出ていました。
 まあ、南下を始めて、すぐ、尾根越えの登りに行き当たるので、そこで少し頑張って踏んだら、問題ないくらいに温まりましたが。


18080413.jpg
わずかに下るまっすぐな道を、
勢いよく進んで行く。


 この区間、駐車場に立てられていたフラッグなどを見る限り、風は無風に近い状態だったと思われますが、とにかくまっすぐ進めば良いだけ、という事もあり、ぐいぐい加速していけます。
 サイコンをチラ見した限り、27~35km/h程度の速度を維持して、ぐいぐい進んで行くことができました。

 道路幅員も十分にあるので、たまに走ってくるトラックも、それほど恐ろしくありません。
 あっという間に新庄市街地に入りましたが……そういえば、この先、国道47号への曲がり方が、少々変則的に設定されていたのでした。

 以前は13号と47号の交差点まで直進したのですが、今回は、キューシートでは手前の県道310号を左折~市道に右折するルート経由して、国道47号に出る設定になっていました。
 ちなみに、47号の交差点まで進んでも可、だったので、補給やお手洗いの状況などによっては、47号交差点にあるコンビニを使おうかと思っていましたが、この時は特に問題なかったので、コース通りに進みます。

 国道47号に乗ると、ここからゴールまでは、約60km。
 ブルベのギリギリ隊ペースでも、4時間あれば到着。今は貯金2時間ですので、十分すぎるほどの余裕が残っています。

 ちなみに、先頭は私がここに差し掛かった段階で、既にゴールしていたらしいです。
 8時間かからずゴールとか、一体どんなアベレージで走ったのでしょうか?(^^;)

 こちらはまだこれから、最上町を抜けて、中山峠を越えて、鳴子温泉を抜けて……という道のりが待っているというのに。

 まあ、速さを競う物ではないので、それはさておき、47号に入って東進を開始します。
 最初はコンクリート舗装の道を、長尾トンネルに向けてジリジリと登っていきます。

 ここを走る時は、大体、最上川300の終盤、日没に向けて暗くなっていく中を走り、私のペースだと大体、赤倉温泉くらいで完全に暗くなる計算です。
 今回はその逆に、徐々に明るくなる中を走り、赤倉温泉くらいで完全な夜明けを迎えるという、完全昼夜逆転現象を見ることができそうです。


18080414.jpg
そんなわけで、
長尾トンネルに到着。

18080415.jpg
このトンネルを抜けた先は、
しばらく下り基調の道となる。


 この辺りで、並走している陸羽東線の保線工事を行っていたようで、一段高い位置にある鉄道敷ではヘッドランプの灯りがチラチラと揺れ、犬釘を打つカキンカキンという金属音が聞こえていました。
 始発電車まで、まだあと数時間ありますが、それまでに、鉄道が走っても問題ないレベルに仕上げないといけないので、これは大変な作業でしょうね(道路と違って許容誤差の幅が狭く、シビアな条件の作業だと聞いたことがある)。


18080416.jpg
瀬見温泉の辺りで、
東の空が明るくなり始めた。

自動増感でかなり明るくなったが、
実際はもっと淡い光だった。


 ここまで来たら、路上温度計が示す気温は18℃に。
 この季節に、20℃を切る気温になると、さすがに寒さを感じ始めます。

 というか、そんな低温(季節的に見て)の中を盛夏期装備で走っていると……徐々に、腹具合が……。


18080417.jpg
その先で見つけたコンビニに、
急いで飛び込んだ。


 興津600の時は、12℃まで耐えられたのですが、猛暑の季節になり、寒冷耐性は落ちてしまったようですね。
 なんとか人間としての尊厳は死守し、ホットのカフェオレをぐいっと飲んで、カフェインとともに腹を暖めたのでした。

2.夜明けの道
 緊急ピットインで、わずかにタイムロスしましたが、貯金が2時間近くあるので、正直、気にする必要もないでしょう。
 お手洗いに行くことを考えて、ヘルメットや反射ベストなど、装備を一式、外していたので、再度装着してから走行を再開します。


18080418.jpg
走行を再開したら、
この短時間で、
急に空が明るくなった。


 停止していた時間はほんの10分程度だったと思いますが、この短時間で、一気に明るくなりました。
 この様子だと、最上町の中心街に至ったら、もうライトもいらないくらいの明るさになるでしょう。


18080419.jpg
予想通り、
十分に明るくなってきた。


 最上町の中心街を過ぎると、赤倉温泉が近づいてきます。
 ちょうど、空腹を感じていたことと、ここのコンビニにはイートインが併設されていることを覚えていたので、一旦、大きめの補給を入れよう、と考えて、いつものコンビニにピットインです。


18080420.jpg
赤倉温泉辺りで、
完全に夜が明けた。


 中山峠手前の最終補給地点ということもあり、ここは数人の参加者が休憩中でした。
 赤飯おこわのおにぎりと、朝になると、なぜか食べたくなる味噌汁(インスタント)をズズッとすすりつつTwitterを開くと、この時点で宮城組の皆様が中山峠に至っている様子でした。

 中山峠は、ここから10kmほど先。
 じわじわと緩やかな斜度で登り、その先も鳴子温泉近くまで続く、緩やかな下り基調の道です。

 最後の最後、残された距離は、40km。
 この先は、2011年に仙台に赴任して以来、本当に何度も走った場所です。

 何度も見た場所、もっと何度でも、しっかり見ておきたかった場所がいくつもある道筋です。
 時間はたっぷりありますから、しばらくの間、見られなくなることを考えて、じっくり色々なものを見ながら走ることにしましょう。 

3.終わりたくない終わりに向かう

18080421.jpg
赤倉温泉駅付近を出発。
朝焼けの赤が綺麗だった。


 赤倉温泉のコンビニを出発し、コースは東へ。夜明けの太陽の方向へと進んでいきます。
 まずは10kmほど、ダラダラと緩やかな斜度で登っていく道を無心で進んでいくだけ……いや待った。


18080422.jpg
コース左手、鉄道橋の下に、
古いコンクリート橋が見えた。


 以前、ここを通った時に、この橋のことが印象に残っていないので、多分、見落としていたのでしょう。
 いや、何度も走っているのに気づいていないとか……あ、そうか、鳥海高原400などでは、明け方で睡魔と戦いながらの通過になるのか、この区間は……。
 それならば、気付かなくても仕方がないかもしれません。

 調べてみたら、この橋は、旧高橋川橋といい、昭和5年(1930年)竣工。
 2018年段階で、88年間、ここに存在しているようで、国道47号が現在の形に整備される前は、あの橋が国道だったようです。

 昭和5年の段階で、コンクリートの永久橋が整備されたということは、国道47号は、当時から重要幹線道という位置付けにあったようです。

 ただし、現道の高橋川橋が整備されてからは、ほとんど維持管理は行われていない様子で、肉眼でこの距離から見ても、欄干をはじめ色々な部分の風化が激しい状態でした。
 なお、完全な廃橋かと思いきや、どうやら現在も、地元の皆様の林業用などとして使われているらしく、2010年代の訪問記録レポートを見ても、橋上には綺麗な轍が刻まれていたりします。

 まあ……床版の強度がどの程度なのかはわかりませんが、当初想定ほどの強度ではないのは明らかでしょう。
 私の目には、かなり限界に近くなっているように見えましたね。
 車で通るのは……私はちょっと、やりたくないかな(^^;)。


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中山峠の頂上が近くなった。

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ならば、ここを見に行かなければ!


 中山峠を通るなら、絶対にここを見ておこうと考えていました。
 堺田駅の目の前にある、平面分水嶺です。

 全国的に見ても、こんなに平坦な土地に分水嶺があるのは珍しいらしいですね。
 というか、最近、わかった話ですが、この平面分水嶺、とある生物の分布に、大きな影響を与えていることが確認されました。

 平野の湿地に生息するカエルの仲間、トノサマガエル(西日本に多い)とトウキョウダルマガエル(東日本に多い)の分布が、この中山峠を挟んで、かなり特殊な状況になっていたのでした。
 山形県は東日本としては珍しく、トノサマガエルが分布する地域です。対して、峠の東の宮城県は、トウキョウダルマガエルが分布する地域です。

 長らく、両者は奥羽山脈を挟んで分断されていると考えられていました。

 ……が。

 つい最近、この平面分水嶺の宮城側の下流である鳴子地区で捕獲された湿地生のカエル類の遺伝子を調べた結果、トノサマガエルの分布が確認されました。
 また、同じくこの分水嶺の下流である中山平地区では、両種の交雑種も確認されたとのことで、この特殊な分布には、この平面分水嶺のような、平坦な峠地形が影響しているのではないか、と考えられているようです。

 私としては、山形側のトウキョウダルマガエルの分布状況が気になるところですが、そちらは今後の研究により明らかになるでしょう。

 そして、この平面分水嶺ですが、ここには少し、特別な思い出があります。

 この分水嶺を初めて見たとき、ここから太平洋と日本海の距離が、それぞれ約100kmであることを知り、片道200km、往復したら、400kmになることに気づかされました。
 それが後に、ランドヌール宮城主催のブルベのコースの一つ、「羽前陸前周回400」の着想につながっています。

 このコースを最初にスタッフ間に提示したときは、寒河江〜鶴岡間の六十里越街道の旧道を通る設定に驚かれたことを覚えています(秋から翌年夏まで、積雪通行止めになる道筋なので)。
 PBP2015が開催された夏、約2年越しで開催につながり、多くの皆様から「とても良いコースだった」という感想をいただいたことも、良い思い出になっています。

 そしてその後、六十里越街道をブルベのコースとして取り入れる動きは、宮城だけでなく、他の主催の皆様の間にも広まっているようで、裏話として、「宮城でここを通したと聞いて、ならば行けると考えて、ウチでも引いてみたよ」という、なんとも嬉しい話を聞かせていただいた事もありました。

 自分が関わったコースから、さらに色々な世界が広がっていく、そんなことを実感できるのは、ブルベのスタッフをやっていなければ、できなかった経験でしょう。


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そしてコースに戻って、
封人の家。


 この「封人の家」は、松尾芭蕉の「おくのほそ道」にも、「堺田の封人の家」として記されている場所と言われています。
 芭蕉と弟子の曾良は、悪天候に見舞われて、ここで足止めされて、二泊することになったとか。

 ただし、この地域は馬小屋でなく、同じ母屋内に馬を入れて生活する習慣があったので、夜間に枕元で馬が小便をする、という情景を「蚤虱」の句に詠まれているらしいですね……。


18080426.jpg
止まってばかりいないで、
そろそろ先に進もう。

中山峠の頂上付近。
右の細い道が旧街道筋。
気温は20度まで回復した。


 いろいろ道草を食いながら、中山峠を越えて、宮城県に入ります。



18080427.jpg
峠を少し下ったところで、
旧街道は国道を横断する。

18080428.jpg
この先、旧街道は、
山の中を通っている。


 以前、このあたりを本ブログで紹介した際、「旧街道は国道の路盤に紛れて、良く分からなくなっている」と紹介しましたが、それはどうやら誤りで、上の国道から下りる階段の先、左側にある標柱の辺りから山間部に入り、鳴子温泉手前の「尿前の関」へと繋がっています。
 過去の誤解を改めてから、この先に進みましょう。


18080429.jpg
ここから宮城県に帰還。
残りの距離は30kmほど。


 本当に残りの距離が少なくなってきました。
 この先の国道47号は下り基調になる上に、追い風が吹くことが多く、普段でもハイスピードで走れる場所でした。
 多分、今回も、かなりの速度が出る場所になるでしょう。

 ここまで来たら、日差しが出てきて、体感温度がかなり高くなりました。
 これなら、下り基調を遠慮なく飛ばして走れるでしょう。


18080430.jpg
中山平温泉辺りで。
温泉水の貯留タンクから、
勢いよく噴き出す蒸気。


 中山平温泉の辺りに来ると、周囲は硫黄臭に包まれるとともに、周囲に設置されている温泉水の送水管やタンクから、シュウシュウと音を立てて蒸気が噴出している風景があります。
 これ、二次的に沸かしているのでなければ、物凄い熱量ですね(^^;)。

 湯気が噴出しているタンクや配管は、温泉水由来の付着物や結晶に覆われているものもあったりして、温泉街の雰囲気満点でした。
 まだ早朝なので、温泉宿も目覚め前なのか、静かな風景の中を縫って、鳴子峡へと向かいます。


18080431.jpg
鳴子峡周辺。
よく秋に紅葉を見に来た場所。
大渋滞の横を自転車で進むのが、
なかなか快感だった場所でもある。


 鳴子峡は、仙台に赴任したその年から、秋に紅葉を見に行く場所担っていました。
 本当にこの先は、仙台で生活していた6年間で、何度も何度も走った道筋でした。
 いつでも走れる場所だと考えていたので、実は色々な見所を見落としていた道筋でもあり、今回のブルベの最後にここを通るのは、東北勤務時代の原点をもう一度、見直しているような気分になりましたね。


18080432.jpg
それにしても雲が低い。
これ、鬼首辺りは、
ガスってたんじゃないかな?


 鳴子峡から先、緩やかに下り基調になった道は、鳴子トンネルを潜る辺りで、尿前の関や鳴子温泉に向けて、急勾配で下り始めます。
 早朝で他に走る車もなく、気持ちよく下っていけますが……。

 ちょっと止まります。


18080433.jpg
鳴子トンネルの鳴子温泉側の上斜面に、
旧鳴子隧道が口を開けている。

18080434.jpg
新旧のトンネルを、
同時に見られるアングルで。


 この旧隧道の事は、実はこのブログでは初紹介です。
 旧隧道は昭和31年竣工と言われていますが、実はそれ以前からあったものを、昭和31年に車道に合わせた形に改修したのではないか、という話もあります(少なくとも、大正10年以前からあったのではないか、とのこと)。
 とにかく、昭和45年に現在の鳴子トンネルが開通するまでの間、旧国道が通っていたトンネルです。

 画像でもお分かり頂ける通り、現在の国道47号と比べると、旧道の路盤はかなり高いところにあったようで、この先の鳴子温泉入り口にある旧道橋に接続すると考えたら、かなり無茶な勾配で繋がっていたのではないかと思われます。


18080435.jpg
なぜなら接続先だった旧道橋は、
現在の国道路盤より低いし。


 この旧道橋は、実はかなり見事な姿形のアーチ橋で、昔の鳴子温泉の絵葉書の図案になっていたりもするらしいのですが、現在は国道橋が被って温泉街からは見えない上に、この先にあった遊歩道が閉鎖されており、歩行者の利用も少ないらしく……。
 なんだか残念な気分になります。

 さて、そんなに何度も止まっていないで、先に進みましょう。
 (本当は、尿前の関の所でも止まっていたけれど、字数的に泣く泣くカットだ……)

 鳴子温泉近くに来ると、再び硫黄臭が周囲に漂い始めます。
 左手の河川敷から、派手な爆竹の音と、カラコロ鳴る熊鈴の音が聞こえるのは、朝の熊追い作業中なのでしょうか。
 ちょっと見てみましたが、熊が飛び出してくる気配はなく、残念でした……。


18080436.jpg
鳴子温泉から先の国道47号は、
近代的な線型の、
高規格道路になる。


 鳴子温泉を通過し、川渡温泉方面へと進み始めると、下り基調も少しおさまりましたが、どうやら風向きがお馴染みの追い風になったようで、相変わらず高速でグイグイ進んで行けるようになりました。
 このまま一気に、ゴールまで、とも思いましたが、まだこの先にも、見ておきたい場所はいくつもあります。


18080437.jpg
川渡温泉近くの「住吉の杉」は、
まだ健在だった。

昔日に京都から苗木を運び、
ここに植えたと言われているらしい。
周辺の電柱と比べて、
この杉の巨大さを感じてほしい。


 この巨大な杉の木は、初めてこの辺りを訪れた時に気付き、以来、ここを通る時は、何となく意識して見てしまうようになっていました。
 この木を見つけたのは本当に偶然で、当時、国道沿いにあった農作物の直売処からたまたま見えたので近くまで行ってみて、お参りをしていた方に由来を聞いたのでした。

 その後、何かのタイミングで別の方にお話を伺った時も、全く同じ答えが返ってきました。
 何の案内板もないのに、地域の皆様が、全く同じ答えをするという事は、おそらくは、この地域に口伝として伝わってきた話なのでしょう。

 何でもないことかもしれませんが、そんな話が口伝だけで残っているというのは、実は結構すごい話です。
 特に、昭和後半から開発が著しく進んだ東京・神奈川あたりで、同じような感じで残っている社の由来を高齢の方に聞いても、大体の場合、「昔からあるけれど、由来は知らない」という答えしか返ってきませんから(東京出身の人も、大体3代遡ったら、地方出身者になる場合がほとんどですからね。それじゃ、地域文化は根付きませんよ)。

 なお、このレポートの執筆にあたり、ちょっと調べてみたら、この「住吉の杉」の樹齢は、推定で500年。
 大体、1500年代(16世紀)からこの地域を見下ろしてきた事になります。

 そして、恐らく「住吉の杉」の逸話も、500年程度、語り継がれてきたのでしょう。
 そう考えると、東北という地方は、本当に豊かで、懐が深い文化的なバックグラウンドを持っているのだな、と、改めて実感させられましたね。
 (こういう話に出会ったのは宮城だけでなく、青森、秋田、岩手、山形、福島と、本当に色々な場所で、色々な「地域の口伝」を聞かせていただいている)


18080438.jpg
あ・ら・伊達な道の駅。
ツーリングで、ブルベで、
本当に何度もお世話になった場所。


 この道の駅は、2011年の夏に仙台に赴任した3ヶ月後、平泉から自走で帰宅した際に、4号直進でなく、一関で国道457号に折れたことがきっかけで立ち寄ったのが最初でした。
 それから、機会があるごとに訪れる場所になり、ブルベのスタート/ゴール地点として、隣接する集会所を使用させていただいた事も何度もあります。

 2015年くらいに、駐車場の拡張などが行われ、ブルベのスタート/ゴールに使うのは難しくなってしまったのですが、それでも、個人的なツーリングでは、鳴子峡、鳴子ダムから鬼首方面に向かう際の中継地として、何度も利用した場所です。

 そして、ここまで来たということは、コースは残り約5km。

 やっと終わる。
 でも、終わりたくない。

 ブルベを走っていて、かなり久しぶりに、こんな気分になりました。
 いつでも走れる、と思っていた場所ですが、冬という、この地域では外を自転車で走るには厳しい時期に異動の辞令を受けたため、最後に見納めのライドをする暇もなく離れたこの場所。

 今回、走ってみて、本当に良い場所だったんだな、また走りに来たいな、と、そう強く思わされました。
 東京に戻ってから、この地域よりも明らかに車の交通量が増えるとともに、同じ自転車も多すぎて危険を感じることが多くなりました。

 東北で、時にのんびり、時にショップ朝練などで、喉に血の味を感じながら全力で走っていたあの環境は、本当に良い場所だったと、再認識しました。
 車の往来を考えずに、全力で走れる場所なんて、首都圏では望んでも得られませんからね……。

 池月を過ぎると、すぐ先に岩出山跨線橋が現れ、それを登ると、もうゴール地点が見えてしまいます。
 もう終わってしまいます。

ゴール:6:45分頃(手元記録)

 正式記録をチェックするのを忘れてしまいましたが(^^;)、ゴールが7時前だったことは間違いありません。
 手元記録どおりなら、10時間45分(おそらく、2〜3分のズレがある)。

 7時前ゴールは確実なので、初の10時間代ですよ。
 11時間半〜12時間が当たり前の私が、こんなに早くゴールしてしまうなんて、自分が信じられませんよ……。

 もっとも、この時間でも、後ろから数えて25%以内という、宮城ブルベでの私のいつものポジションだったのですけれどね(^^;)。

 とにかくどういう理由だったのか、全体的にハイスピードで展開したブルベでした。

 しかし、体は正直なもので、中山平温泉から鳴子峡への登り返しや、池月手前の軽い登りなど、ちょっとトルクをかける場所では両足とも、大腿の内側がつって、ビキビキと激痛を発してくれるという、筋疲労的には、かなり限界に近かったというね……(^^;)。

4.ブルベはおうちに帰るまで!
 その後、まだ数名の参加者が走行中、とのことだったので、すでにゴールしていた宮城組の皆様や、いつの間に抜かれていたのか、先にゴールしていた今回はロードの(オーディナリーの)Kさん、ランドヌール宮城スタッフの皆様との雑談に興じました。

 来年の開催計画とか、私が聞いていて大丈夫かな、と思うような話もありましたが、どうやら来年、私が提案していたコースがリニューアルされて開催、という話も出ているようで、これは随分、楽しみになってきました。

 その後、全員のゴールを確認。
 DNFゼロ、という記録が出たところで、パラパラとにわか雨が降り始めたので、私は急いでその場を辞去して、古川市街地にあるスーパー銭湯で汗を流してから、東京に帰還することにしました。

 一晩中走っていた体をほぐしてもらおうと、湯上りにマッサージを受けていたら寝落ちしてしまい……気づいたら、2時間以上経っていたという驚きの展開が!

 この日は午後から雨の予報が出ていたので、慌てて雨雲レーダーをチェックすると、この後、山形に大雨を降らせた強力な雨雲が、栗駒山に引っかかって止まっているという、いつ雨が来てもおかしくない状況になっていました。

 慌てて荷物をまとめて、古川駅に向かってダッシュ!

 さっぱりした体が、また汗で濡れてしまいましたが、気にしている暇はありません。
 駅に着いたら、西の空はすでに危険なくらいに黒い雲で覆われており、時折、遠雷が響いてきます。

 急いで輪行準備を整え、駅構内に入ったと思ったら、ついに雨雲が到達したらしく、大粒の雨が落ち始めました。

 危なかった。
 あと数分でも、時間がずれていたら、あの雨に捕まっていましたから……。

 そういえば、古川のスーパー銭湯には、同じブルベ参加者の物らしい、重装備のロードがまだ止まっていましたが、あの人は大丈夫だったのか……。

 まあ、私はその後、新幹線で東京に戻ったら、相変わらずの灼熱地獄に放り込まれ、すぐに東北の涼しい気候が恋しくなったのですが……(^^;)。

 そんなわけで、久しぶりに、宮城に里帰り?した気分の遠征ブルベは終了しました。

 今回は、思い出の場所を全力で走ることができて、本当に楽しいブルベでした。
 まあ、一部、暗闇の中で景色がよく見えなかったとか、そんな悔しい思いが残る場所もありましたが(^^;)、最後の47号区間で、全部吹っ飛びましたね。

 今年の宮城ブルベは、早いですがこれで終了なので、また来年、機会があれば、遠征で飛んで来たいと思わされました。

 その前に、AJ神奈川さんの、一関酒田、酒田白河にエントリーしているので、秋にまた、東北を走る機会は得られそうです。

 それにしても、羽前陸前周回のコースの一部が、他の主催のコースにも取り入れられるようになったり、私が提案したコースが、現スタッフの皆様にリニューアルして頂けたり、自分が関わっていた部分が、どんどん広がっていくのを実感できたのがありがたかったですね。

 そして、ランドヌール宮城のスタッフメンバーも増えており、特に、以前からスタッフに入って頂けらた力強いのに、と思っていた皆様がスタッフになっていたのが、とにかく嬉しいというかなんというか。

 東北のブルベ、これからどんどん、面白くなりそうです。
 私がまた仙台に赴任する機会は……企業体力的に、ないだろうな〜(^^;)。

 でも、道はつながっていますから、またいつでも、走りに来たいと思います。

 さあ、次に待っているのは、さらに北の大地、北海道を舞台にした、Clover Hokkaido 1200。
 現在の自分が超えるには、かなり難しいハードルであるとともに、来年開催のPBPに向けて、弾みをつけたいところでもあります。

 どこまでやれるのか。
 全身で思いっきり、RMの厳しさと楽しさを感じて来たいと思います。
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プロフィール

YO-TA

Author:YO-TA
2018年1月に、東北勤務から再び東京に転勤となりました。
相変わらず、デジカメ片手に、サイクリングやハイキングを楽しんでいます。
突然、突拍子もないことをやらかしますが、それはまあ、ご愛嬌という事で…。

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