日々是遊歩。見て、聞いて、感じて、それを殴り書き。

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忘年会にあわせて、色々訪ねてきました。

 ランドヌール宮城の忘年会で、ちょっとした餞別をいただいてしまいました。

 まあ、いわゆる、オプティカルファイバー内の散乱光を利用したライトなのですが……。
 変形自由度が高そうで、補助用テールランプに使うと、面白そうです。

 で、代表から、「レビューよろしく」という課題をいただいてしまいましたので(^^;)、そのうち、レビューしたいと思います。
 (辛口評価も可。場合によっては代表も装備に採用したい、とのことでしたので、じっくり試してみようと画策中……)

 では本題です。
 この週末に、ランドヌール宮城の忘年会がありました。
 え〜、一応、東京に異動が決まった私の送別会を兼ねる形で行っていただきまして……。

 しかし、今後の予定を逆算してみたら、実はもう、実際の転居に向けて、ゆっくりできる週末がほとんど残っていないことに気付きまして……。
 不用品の処分などのため、車を借りることにしていたので、どうせなら、と、週末フルに借りることにして、忘年会にあわせて、色々、見ておきたい場所や思い出深い場所を訪ね歩くことにしました。

 そんな個人的な記録ですが、興味のある皆様は、以下のRead moreをクリックしてください。


 9日土曜日の午前中に、不用品整理のために車を借りて、リサイクルショップや古本屋などを渡り歩いて、幾ばくかの(ホントにささやかな)資金を手に入れました。
 うん、あれだけ売っても、これだけか、というのは、リサイクルあるある話なので、割愛します……。

 ランドヌール宮城の忘年会は、土曜日の夜だったので、夕方までは自由に動けるか、と思い、車で色々と思い出深い場所を巡ることにしました。
 ホントに、ゆっくりできそうな週末が、今週末くらいしかありませんのでね……。


17120901.jpg
というわけで、
まずは自宅から比較的近い泉ヶ岳へ。
福岡のコンビニから泉ヶ岳方向を見ると、
雲で山が見えない……。


 うん、これは山は雪の中だな。
 その昔、この辺りに建っていたらしい、「泉ヶ岳をなめんなよ!」の標識を思い浮かべつつ、泉ヶ岳へと進みます。

 春〜秋にかけては、週末ともなれば多数の自転車乗りがヒルクライムしている道ですが、この日はさすがに誰もいない……。

 かと思ったら、2人ほどいらっしゃいました(^^;)。
 いや、あの、上の方は雪でしたよ? 大丈夫でした?


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とはいえ、積雪量はまだまだ少なく、
スプリングバレースキー場では、
人工降雪機が稼働中だった。


 私も何度か、ヒルクライム練習で通った場所ですが、最近は人が多くなりすぎて、関東の有名な峠のような、他の利用者との軋轢が生まれそうな、危険な気配を感じています。
 そのためか、実は今年、これが初めてのガタケだったりして……。

 いやまあ、まさかこのタイミングで異動になるとか、思ってもいませんでしたからね(^^;)。
 (いつでも行けると思っていたのよ、ホントに)


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その後、昼食を兼ねて訪れた、
加美町の「えごまたまごかけごはん」の店。


 JA直営販売所に併設されたここは、確か赴任したその年の初夏頃、地元で評判の店を訪ねる、という目的で、初めて目的地を定めて訪れた場所でした。
 その後、私はこの前を通り越して、池月や鳴子温泉、西に折れて鍋越峠の向こうまで行くことになったのでした。

 なお、「たまごかけごはん」は相変わらず美味で、三杯いけました(^^;)。
 さて、忘年会会場は奥松島だったので、そろそろ海岸方向に移動しないと駄目でしょう。

 今年5月のスーパーフラット200でも一部を走り、私の松島方面へのメインルートであった、県道9号等を通り、成瀬川沿いに奥松島方面へと向かいます。


17120904.jpg
ランドヌール宮城忘年会会場は、
奥松島の海のすぐそば。
到着時、夕日がすごく綺麗だった。


 さて、忘年会の方は、私が到着した16時半頃段階から、いきなり日本酒の瓶が開かれるという、0次会から二次会の雰囲気となり。
 その後、様々な裏話や名言や迷言が生まれたり。
 2年後のPBPでは、またフランスの空の下を走ろう、という雰囲気に(大枠で)まとまった……ことにしておこう(^^;)。

 いや、民宿で宿泊込みの日程だったので、翌朝、部分的記憶喪失患者が多数、確認されるという事態だったことから、大体をお察しください(^^;)。

 とにかく、明けて10日の朝、宿が松島四大観の一つ、大高森の目の前だった事もあり、有志が朝から登山を楽しみ(?)ました。


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松島四大観の一つ。
大高森頂上の展望台。

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大高森の展望台から見た松島。
おお、本当に島々を一望できる!

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周囲に高い山がないので、
ほぼ全方位の展望が開けている。
こちらは旧野蒜駅方向。
高台移転が進んだため、
今は何もない。

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こちらは矢本〜石巻方向。
どうやら朝は町の上に、
霧がかかっていた様子。


 さすが松島四大観だけあって、見事な展望でした。
 今回は曇っていてよく見えませんでしたが、天気が良ければ、仙台平野越しの蔵王連峰なども見られるようです。

 そういえば、こちらに来て、会社以外の場所にロードで初めて行ったのは、松島でしたね。
 とりあえず行ってみよう、という感覚で、西行戻しの松から、沖の島々を俯瞰していた覚えがあります。

 最初に見たのが、方角的に、大高森の反対側から、ということになるでしょうか?
 とにかくその後、松島には何度も来ましたね……(特に、冬の晴れ間のショートライドとして)。
 通算したら、鳴子温泉(鳴子峡)と、どっちが多かっただろう?


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大高森までの遊歩道の風景。
岩場にある、
こういう豪快な切通しを見ると、
ああ、松島の道だわ、と納得する。


 松島周辺は地質的に凝灰岩で、柔らかくて削りやすいために、崖を削って作った室や隧道、摩崖仏などが多数あります。
 なので、こういう岩を断ち割ったような切通しを見ると、松島の道であることを実感しますわ……。

 その後、皆様は自走、車など、それぞれの手段で帰路に着いたのでした。

 ……で、一日、時間があったので、この機会に、見ておきたい場所、思い出深い場所のぶらぶら巡りを再開させたのでした。
 せっかくなので、一部を紹介しますと……。


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元禄潜穴。
宮城1000などですぐ脇を通った、
明治潜穴より古い排水施設。

昔は、単に岩を削っただけの構造だったが、
後世、レンガなどで補強されたらしい。


 かつて松島の北側の平野部にあった品井沼の干拓のため、江戸時代に仙台藩が主導して、元禄6年から5年をかけて造られた潜穴(せんけつ)です。
 平たく言えば、排水のためのトンネルなのですが、延長2.5kmというとんでもない規模のトンネルを2本、掘ったのですから、江戸時代の土木技術も侮れないものがありますね。

 明治潜穴は何度も見ていますが、その先祖というか先輩というか、こちらの元禄潜穴は、まだ見たことがなかったのでした。

 興味があった場所なので、大体の道順は、2013年の宮城1000の直後くらいに調べてあったのですが……さすがに、明瞭に記憶してはいませんでした。

 まあなんとかなるか、と、記憶を頼りに向かったのですが、一発で正解を引き当てました。
 来年のブルベは、できるだけGPSに頼らず走るつもりでいますが、コース記憶能力、まだどうにか衰えていないようで、安心でした(^^;)。

 鹿島台周辺の黄金山等を宮城1000のコースに沿って通過したりして、登米、栗原周辺をぐるぐる回りつつ、そういえば、と思い出し、ここを見に行きました。


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栗原市内、栗駒山に向かう途中の、
大崩落地。
平泉200などで通る道筋にある。

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2011年9月14日撮影の同じ場所。
仙台に来た直後、
それまで自分が意識していなかった、
山間部の震災被害を思い知らされた場所。

崖下に落ちている岩が、
大型トラックくらいだったので、
どれほどの規模の崩落か、
お分りいただけると思う。


 この大崩落地点は、2011年の9月頭に、(会社の命令で取らされた)夏休みに合わせて平泉に行き、自走で帰ってきた経路上(国道457号沿い)にあったものです(往路は雨だったので、輪行だった)。

 赴任当初は、津波被災地での仕事が多く、色々な物を見て精神的に参ってしまう同僚も多かったので、仕事が一段落した段階で「休め」という命令が出たのを合わせて思い出したりしましたが……。

 とにかく、東日本大震災の被害に関する仕事を忘れるために取ったはずの休みで、山間部の崩落地点や落石などに伴う通行止め等を目の当たりにして、自分に見えていなかった被害も相当な物だと思い知らされるという、休みになったのかどうか微妙な体験ではありましたが……。

 しかしその後、宮城ブルベを走る中で、年々、この大崩落地の安定化工事が進む様子を見ることができたのは、ある意味、良かったと思います。
 今は、あの時の平泉からの帰り道に見た崩落地点は、まあ、周囲に道路や集落がない場所は自然にまかされていますが、ほとんどが安定化工事も終わって、日常に復帰していますからね。
 ここも、本当に思い出深い場所の一つです。

 そして、ブルベのスタートなどでお世話になった池月周辺を訪ねるとともに、最近、地図を見ていて気付いた、気になる地点もついでに見に行ってみました。


17120913.jpg
宮城県道17号沿い、
岩出山の北あたり。


 最近、スタート地点として、岩出山体育センターを利用することが多くなったため、そこへのアプローチ道路として使えそうな路線を探していて見つけた場所です。

 県道17号沿いを地図で見ていると、岩出山の北あたりで、不自然に上下線が別れて整備されている場所がありました。
 地形的に、道路拡幅の障害になる崖や河川等があるわけでもなく、こんな形に整備する理由が、地図と地形図ではわかりませんでした。
 ストリートビューで見ると、何やら公園的な整備がされた場所があるようですが……。

 というわけで、見に行ってみたのでした。


17120914.jpg
上下線に挟まれた場所にある、
何らかの史跡らしいもの。
築山っぽく見えたので、
何かの館跡か、関所の跡かと思ったら……。

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一里塚でした(天王寺一里塚)。
はあ、なるほどね〜、と、
現地で大納得した。


 この、天王寺一里塚がある場所は、かつて、吾妻鏡などの記録では「松山道」、後世(特に近世以降)には「上街道」という名で知られた古道(現在の県道17号の原型となる道)が通っていたそうです。
 岩出山から、宮城ブルベでもよく通る岩ヶ崎を抜けて、岩手県の一ノ関を結ぶ街道で、松尾芭蕉の「奥の細道」においても、ほぼ、この上街道沿いに進んで岩出山に投宿したことが記録されています。

 この天王寺一里塚は、上街道沿いに整備された物であり、現在も道路(北上側車線)の両側に「対」となる形で、一里塚が残っているそうです。


17120916.jpg
現地では草に覆われ、
視認困難だったが、
左の茂みの裏側に塚がもう一つある。


 女川八戸400でも、両側に対となって残る一里塚、「御堂・馬羽松一里塚」を、真っ暗なフォトチェックの直後に通りましたが、本当に東北地方には、こうした史跡が見事に残っている場所が多いですね。

 そして、こうした遺構からわかりますが、昔の「街道」は、大体、現在の道路の一車線分くらいの幅があったようです。
 徒歩と牛馬による通行が主であった時代の道が、それだけ立派に整備されていた、というのも、なかなか面白い話だと思われます。

 なお、この天王寺一里塚に岩出山からアプローチする時に通過する集落は、「九十九沢」という名前です。
 この文章を書くにあたって、国土地理院の地理院地図で過去の空中写真を見てみたところ、1970年代くらいまで、県道17号は九十九沢地区の中を、何度も折り返す九十九折の道として整備されていました。

 この辺りの県道17号沿いには、左右に「上街道」の標識が出ている場所が多いので、多分、古道の時代から九十九折の道になっていたため、こんな地名が残ったのでしょう。

 こういうことも併せて考えると……。

 この県道17号、適度にアップダウンがあり、景観も変化に富み、車通りも少なく、そして、昔の街道筋の雰囲気や遺構があちこちに残る、という道筋であり……。
 岩ヶ崎から岩出山方面に抜けるルートとして、ブルベに組み込むと面白い気がしますね。

 どなたか、この道を組み込んだコース、引いてみませんか?
 (スタッフ以外の方でも、引いて見て、「こんなコース、どうでしょうか?」と提案してみてください。採用されるかもしれませんよ?)


17120917.jpg
最後にオマケ。
天王寺一里塚の横にある杉並木。
2本の木が重なった状態なのだが、
遠目には、巨大なトトロに見えたという(^^;)。

いや、まあ、
それがどうしたと言われたら、
まあ、アレなんですけど……。



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プロフィール

YO-TA

Author:YO-TA
2018年1月に、東北勤務から再び東京に転勤となりました。
相変わらず、デジカメ片手に、サイクリングやハイキングを楽しんでいます。
突然、突拍子もないことをやらかしますが、それはまあ、ご愛嬌という事で…。

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