日々是遊歩。見て、聞いて、感じて、それを殴り書き。

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あこがれの空の下を PBP2015参加記録 撤退編

 既に、多くの皆様がPBPの走行レポートを残されています。

 見事に完走された皆様。
 残念ながらDNFになった皆様。

 それぞれのPBP2015の様子が見えてきますね・・・。
 
 私たち、宮城勢に関しては、私以外の視点からの参加記録として、ちゃりけんさんのブログでも、レポートされています。
 (その2その3もあわせてどうぞ・・・)

 それぞれが、それぞれに経験したPBP。
 海の向こうでも、色々な形でリザルトが整理されており、中でも、動画やグラフなどの形式で纏められたサイトについては、自分のフレームナンバーを打ち込むと、全体のどの位置にいたのか、等がわかるようになっているのが凄いです。

 私の場合、タンテニアック以降の減速度合いが明らかで・・・。
 やはり、苦しんでいたんだなあ・・・と、実感されますね・・・。

 では本題です。
 PBP参加レポート。
 前回でコース上の挑戦は終わりを告げました。

 しかし、それが終わったから、と言って、ゲームじゃないので、自動的にスタート地点にリスポーンする訳ではありません。
 とにかく、自力でパリの宿まで撤退しないといけません。

 そんな訳で、今回は撤退編です。
 どんな形で撤退して行ったのか、何かの参考に・・・まあ、参考にならない方が良いのかもしれませんが、とにかく、こういう形で帰ってきたんだという記録として、残しておきましょう。

 例によって、詳細は裏置きしましたので、興味のある皆様は、以下のRead moreをクリックして下さい。


1.撤退行開始
 リタイア宣言をしたら、気分的に楽になりました。
 とにかく、次の行動を起こすためにも、体にしつこく残っている睡魔を何とかする必要があるでしょう。
 チェックの列に並んでいる間に、膝カックンするほどの酷さでしたからね・・・。

 私はそのまま仮眠所に向かい、2時間後に起こしてくれるように頼んで(筆談。起こして欲しい時間を紙に書いて渡した)、案内された簡易ベッドに横になりました。

 ああ、もう走らなくていいんだな、と思って目を閉じた・・・体感で、その直後に腕を揺すられました。
 ん?と目を開けると、受付係の人が腕時計をトントン、と叩いています。

 ・・・時間なのか?
 そんなに一瞬で、深い眠りに落ちていたんだな・・・。

 「めるじぃ~」

 乾燥してガラガラの喉から、無様な御礼が出ました(^^;)。

 その後、食事ポイントでスープとココア(どちらもカップでなく、ボウルでもらった)を飲みつつ、撤退ポイントを検索します。
 聞いた話では、アバンダン宣言をした段階で、スタッフから撤退の手段はあるのか、等を確認され、お勧めの撤退手段を教えてもらえる事が多い(というか、ほとんどの人がそうやって確認されていたらしい)との事ですが・・・。

 私には、特にそんな確認も説明もありませんでした・・・(^^;)。

 ま、無いなら無いで、自分で探して撤退路を見つけてやろうじゃないか・・・。
 まずは鉄道の駅を探そう。鉄道があれば、パリまでの路線への接続もあるでしょう。

 そして、現在地のサン・ニコラの周辺には、鉄道駅はないようです。
 何度も寝落ちながらスマホのマップを操作すると、次のチェックのカレ・プルゲールに、鉄道駅があることに気付きます。

 カレ・プルゲールまでは、コース通りに進めば、約30km。
 自走すれば、1時間半か、2時間か・・・。

 仮眠所で2時間という、寝付き端のノンレム睡眠周期を過ごしているなら、まあ、それくらいなら走れるくらい、回復しているでしょう。
 ・・・ま、やはり自走ですかね・・・。

 10時頃、サン・ニコラをスタート。
 出がけに、日本人の方に調子はどうですか、と尋ねられましたが、ここでリタイヤです、という返事だけしか返せませんでした・・・(その方は、すでに折り返して来ていたようだ。速い!)。


15083033.jpg
カレ・プルゲールに向けて出発。
大通りを抜けると、
こんな静かな道になった。

15083034.jpg
参加各国の過去のジャージが、
万国旗のように飾られていた。


 ブレスト方面にハンドルを切って、既にほとんど参加者の背中が見えない道を進みます。
 ブレスト方面の案内標識が、撤退ポイントへの案内になるとはね・・・。

 道は長閑な田舎道、という風情の場所を進んで行きます。
 フランスでも、こういう道は走っていてとても気分がゆったりして気持ちが良くなります。


15083035.jpg
放牧されている馬。
走っている間によく見た。

15083036.jpg
そして牛。


 ああ・・・なんだか、こういうのんびり、楽しんで走る気分になったのって、スタート直後以来じゃないか?
 なんだか途中から、時間ばかり気にして走っていた気がするなぁ・・・(特に夜は)。


15083037.jpg
本当にこの道でいいのか?
と思うほど長閑な道。
右下に案内板があるし、
まあ大丈夫だろう。

15083038.jpg
楽しむモード100%になると、
あちこちで見る教会も、
尖塔の意匠が少しずつ異なる事に気付く。

15083039.jpg
うん、ここも小さい教会ながら、
尖塔の意匠が凝っている。


 ブレスト・・・ブレスト・・・と辿っているうちに、気付きました。
 今のラウンドアバウト、何の案内も出ていなかったんだけど、これ、道、合ってるか?

 周囲の景色に、大きな変化はありません。
 相変わらずの、長閑で平和な風景です。

 という事は、ミスコースしていても気付かないんだよな・・・。

 急に心配になったので、とある町の教会前広場で一時停止して、スマホとWi-Fiを繋ぎ、現在地をマップで見てみますが・・・。

 ・・・どこだここ?

 初めて訪れる国の、初めて訪れる地域の町の名前を見ても、それがどこだかわかるはずもありません・・・。

 PBPのコースデータが参照できる「GPX Viewer」の方でも現在地を見てみますが、どうやら現在は、正規コースのかなり北側の丘陵地にいるようです。
 ぬうう、どうやってリカバリーしようかな・・・と考えていると、近くの家からお爺さんが出てきて、ヘイ!と声をかけてきました(仏語で。以下、ニュアンス理解の結果 ^^;)。

 「やあ、どこから来たんだい?」
 「ジャパン、ジャポン」
 「ジャポン?凄いな、よく来た(握手)。だが、ここはコースじゃないぞ、どこへ行こうとしているんだい?」
 (と、言われた気がしたので・・・無言でキューシートのカレ・プルゲールを指差す)
 「ああ、ここはこの道を真っすぐ進め。それが近道だ(ゼスチャー+仏語)」
 「まっすぐね?(ゼスチャー+英語)」
 「まっすぐ!まっすぐだぞ(ゼスチャー+仏語)」
 「OK、メルシー!」
 「あ、ちょっと待ちなさい!(腕を掴んで止めた後、家に引き返して行く)」
 「・・・・・・?」
 「(ミネラルウォーターのボトルを持ってきて)ほら、飲みな、(フレームを指差し)君のボトルはもうすぐ空になる(という感じの仏語)」
 「メルシー・ボーク―!」(封を切って飲み、ボトルにも補給)
 「(空になったペットボトルをひったくって)さあ、行きなさい!アレ!アレ!」
 「メルシー!メルシー・ボークー!」

 名前も知らないお爺さんからの温かい助けを受けて、再度、前進を開始します。
 お爺さんの言葉通り、この先、あちこちで「CARHAIX(カレ)」の案内標識が出始め、これに従えばいいんだな、と、確認が取れました。


15083040.jpg
フランスの標識豆知識。
町や集落の入口には、
こういう赤枠の地名標識がある。

15083041.jpg
その町や集落区域が終わる時は、
斜線付きの表示になる。
この先、再び町や集落になるまで、
家屋は全くない。


 本コースを外れても、相変わらずのアップダウンを越えて行きます。
 いくつかの丘を越えると、斜面の向こうに沢山の家屋の屋根が見え始めました。

 スマホのGPSで確認した所、カレ・プルゲールの町の目の前に来ているようです。
 コースは、ここから数キロ南の競技場付近で、PCになっているようでした。
 やれやれ、どうやらミスコースしたあとからは、最短距離で復帰できているようです(本来のコースよりも、10kmほど長く走りましたが・・・)。

 ここで鉄道駅に行き、パリへと向かう列車の接続を探すことにしましょう。
 まあ、コントロールに近い場所なので、既に何人かDNFが出ていれば、駅員さんも察してくれるだろう・・・。

 そう考えると、最後の丘陵を超え、眼下に広がった町へと進路を取りました。

2.我ら、"撤退者同盟"
 カレ・プルゲールの町が見えてから後、斜面に貼りついたラウンドアバウトという、ちょっと微妙な場所を抜けたりして、到達したのは鉄道路線のすぐ脇でした。
 フェンスに取り付いて左右を見てみると、少し南に下った方に、車両基地のような、何本もの線路が枝分かれした広い場所が見えたので、そちらが多分、駅方面だな、とあたりをつけて進みます。

 やがて前方に、反射ベスト姿のライダーが行きかう道が見えました。
 どうやら、本来のコース沿いに出たようです。

 駅方向はこちらのはずだ、と、コースをブレスト方面に向かい、先程見た地図を思い出しつつ、鉄道橋を潜った先を右に折れます。
 しばらく坂を登った先に、駅舎らしい建物が見えてきました。

 近寄って行くと、どうやら駅で合っているようです。
 よし、それではここから、鉄道で撤退開始です。

 フランスの駅は、駅舎に自転車をそのまま持ち込んでもいいんだよな・・・と、車体を引いたまま入口をくぐると・・・。

 「ヘイ、メイト!」

 メイト?仲間?え?

 私の車体のフロントプレートを見たらしく、恰幅のいい、ジャージ姿のブラジル人がそう英語で声をかけ、満面の笑みとともに近づいてきました。

 「パリへ行くのか?」
 「そうだけど」
 「あっちでチケットが買えるぞ。それと、40ユーロあるか?」
 「何で?」
 「バイク用のバッグが要る。買ってきてやる。チケットを買って来い。次の列車は、10分後だ」

 ちょっと心配でしたが、同じ自転車仲間です。40ユーロを手渡し、私はチケットカウンターへと向かいます。
 ブラジル人とのやりとりを見ていたらしい駅員さんは、パリ?と聞いてきたので、そうだ、と答えると、端末を操作し、チケットを発行しました。

 その後、英語ですらすらと、乗るべき列車などの説明をして下さいます。
 全てチケットにかかれているので、問題ない、と答えて料金をカードで払いました。

 そして車体の所に戻ると、ブラジル人、スペイン人、フランス人ほか、何カ国かのジャージが入り混じる10人程が、私の車体を分解して梱包中でした。

 「OK、ジャパン、フェンダーをどうやって外せばいい?」
 「デカいバッグ(suewの事)だな、重くないかこれ?」
 「シマノか。やはりジャパンはシマノを使うんだな」
 「キャットアイはいいライトだよな。レザインは日本にもあるのか?」

 ・・・なんだか、色々盛りあがってんなあ、おい(^^;)。
 ってか、誰か今の事態を説明してくれませんか?(^^;)(^^;)(^^;)

 それに、車体や装備に対する反応が、いちいち、日本人のブルベライダーと同じなのが気になる所です。
 これは世界共通の「病気」なのか?(^^;)

 一通り梱包が終わった後、先ほどの恰幅のいいブラジル人がポン、と私の肩を叩いて言いました。

 「俺達のコミュニティーに、ジャパンの新入りが来たぞ!」
 「コミュニティーって?」
 「アレだ、"撤退者同盟"(アバンドナーズ・コミュニティーとか言っていた記憶がある)って奴だ!」

 ・・・作るな、そんなもの(^^;)。

 訳のわからない事態に巻き込まれているうちに電車が到着し、乗客が動き始めました。
 キオスクでコーラを買い、例のブラジル人の、さあ行くぞ、の掛け声とともに荷物を抱えて電車に乗ると、それぞれ近くのボックスシートに座り、「無事の帰還の始まりに!」と乾杯のコールがかかりました。

 なんだか明るいな、おい(^^;)。
 日本人だったら、DNFした後、「ああ~、もっと走れたかもな~!」とか何とか、色々後悔してうじうじ考えたりすると思うけれど、この空気は一体何なんだ(笑)。

 「今回はだめだったな。でも、無事に帰れればそれでいい。4年後に、また来るんだろ?」
 「またチャレンジできるんだ。繰り返しね。一度で走り切る奴もいるけれど、俺達はまた4年後、ルーキー気分でワクワクできるんだぜ?」

 なるほど、そういう考え方もあるのか。

 日本では、多少、うしろ暗い意味合いも含まれてしまう「DNF」も、前向きな選択の一つである。
 何より、ここでやめていなかったら、こんな楽しい奴らと一緒に旅することもなかったぜ、と。

 彼らの明るい雰囲気は、純粋に撤退行を楽しんでいるそれでした。

 国柄の違いなのか、単なる自棄なのか。
 しかし、このコミュニティーは、私にとっても、とても居心地が良い場所でした。

 それにしても・・・。

 「なんだ、ブレストまで行って、戻ってきたのは俺だけか!」

 お前、ドヤ顔するんじゃない(^^;)。
 (五十歩百歩という日本のことわざを教えてやりたい・・・)


15083042.jpg
電車旅に切り替わってから、
数時間乗ったローカル線。


 途中、GUINGUMP駅でTGVに乗り換え、ここからはパリ-モンマルトル駅に直通です。
 こんな形で、フランスの超高速鉄道、TGVに乗る事になるとは思いませんでした。
 2日かけて自走した距離を、数時間で新幹線並の速度で東へとカッ飛んで行くそれは、東海道を2日かけて浜松まで行ったときの帰還路にも等しい、微妙な気分にさせられます。

 途中で、日本人のDNF者らしい人が同じ車両に乗り込んできて、レンヌ市で降りて行きました。
 私はパリまでだ、ということで、レンヌでお別れです。

 荷物を見張る意味もあって、連結部分の補助シートに座っていた(トランクなどの大型荷物置場が、連結部にしかない。NEXのような感じ)ため、駅に到着するたびに目の前を乗降客が通り過ぎます。
 同じデッキには、フランス人の若者が何人か乗っていましたが、駅で扉が開いている間だけ喫煙し、閉まりはじめた扉の、狭い隙間から吸い殻を投げ捨てるのは勘弁して欲しかった・・・。
 (目の前を、火のついた吸い殻が飛んで行くってのは、あまり良い気分では・・・)

 ちなみに、フランスは結構、喫煙者が多いようで、建物内は完全禁煙でも、道端で普通に煙草を吸っている人の姿が見られました。
 そして、携帯灰皿という物を携帯する習慣はないようで、奇麗に着飾ったパリジェンヌの、路上にポイ捨て〜靴でグリグリ踏んでもみ消しのコンボを決める姿も見られたりしたのでした・・・。

 そんな事はさておき、GUINGUMPから約3時間半で、TGVはパリーモンマルトル駅に到着しました。


15083043.jpg
なかなか良い列車だったよ、
TGV。

15083044.jpg
それにしても、重い。
この、車体を包む輪行用のバッグだけで、
2~3kgくらいありそう。

折りたたみ式の底板もついていて、
チェーンリングが貫通しないほど頑丈。

なお、手前の小さな袋が、
輪行袋が入っていたバッグで、
背負えるようになっている。
この時は、ヘルメットや小物を入れてある。


 この、フランス輪行袋の重さから、日本の輪行袋の優秀さが身にしみましたね・・・。
 TGVでは、荷物置き場の都合で複数の車両に分散していた「撤退者同盟」の面々ですが、同じような大荷物を持っているという目印があるためか、駅のホームでまた何となくグループになってしまいます。

 TGVホームの出口で、またヘイ!と誰かから声がかかります。

 「4年後、また同じ電車で会おうぜ、メイト!」

 この一言に、「メイト」たちはニヤッと笑い、同時に答えました。

 「No Way!(ありえねーよ!)

 最後まで陽気な連中でした。

 モンマルトル駅は、パリ市内を観光した時にも使っているので、勝手がわかっています。
 チケット売り場で発券機にクレジットカードを突っ込み、昨日の手順を思い出しながらチケットを買います。

 自分のチケットを購入後、例の「メイト」のブラジル人が、危なっかしく操作していたので、横から英語で操作説明を加える形で彼を助けました。
 (券売機は、後ろに並ぶ人や、操作中の人が、互いに手元を覗き込めないような配置になっていた)

 彼ら、ブラジル人チームは、別方向への列車に乗るようだったので、そこでまた4年後の約束を交わして別れ、私はヴェルサイユ方面への電車に乗り、駅からはタクシーを拾って、ギャンクールの宿所へと帰ってきました。

 宿に戻ったのは、現地時間で20時頃。
 さすがに戻っている人は少なかったようで、宿は静かです。


15083045.jpg
その日のうちに、
無事にパリの宿所に帰還。

日本のブルベでも、
多くの人を驚かせる
私の撤退の手際の良さは、
ここでも発揮されたようだった。


 言葉も通じない土地で、500km以上も離れた場所からここまで、その日のうちに帰ってきてしまいました。
 途中、「メイト」の手助けがあったとはいえ、撤退の手際の良さは大したものだと、自分でも思います。
 (まあ、鉄道の窓口などでは英語が通じたのと、いい加減、英語がデフォルトで口から出るようになっていたので、言葉の壁の面は、あまり心配するようなものではなかった気がする・・・。特にパリでは、カタコトでもいいから喋ることができれば、多分、問題ない)

 サマータイムのため、辺りはまだまだ夕方の明るさでしたが、それでも体は正直な物で、睡魔がやってきてずっしりと重くなっています。
 食事よりも何よりも、まずはシャワーを浴びて、3日間、着たきりだったジャージから、清潔な室内着に着替えます。
 (自分でも嫌になるほど、酷い汗の臭いがしていた・・・。タクシーの運転手が、嫌な顔をした訳だよ・・・)

 体を洗おうとしてお湯を浴びると、内股からピリピリとした痛みが伝わってきました・・・。
 乾燥した空気の中で、サドルなどと擦れ合う事が多かった部位は、表皮がすり切れ、血が滲んでいたのでした。

 そういえば、レーパンを脱ぐ時、カサブタみたいな何かが、ポロポロこぼれ落ちていたっけ・・・。

 既に炎症になりかけていたので、抗生物質入りの軟膏と、ジュクジュク防止の軟膏を塗り込み、保護パッドを貼ってからベッドに横になったら・・・私はそれから翌朝、日が高くなるまで12時間ほど眠り続けました。

 まだ走っている仲間達には申し訳ないですが、この時の眠りほど、すべてを任せて無防備でいられる時間もありませんでした・・・。

3.撤退者の休日
 目が覚めたのは、朝9時をまわったくらいでした。

 既に太陽は高く昇り、エアコンのついていない(電源が、ではなく、機械がヒーター以外、ついていなかった)部屋には、熱気が滞留しています。

 カーテンを開いて窓を全開にすると、日影になるその窓からは、朝の冷気が入ってきました。
 もう一度、ベッドに横になると、また微睡んでいたようで、気がついたら時間は11時近く。
 宿の近所のスーパーが開いているはずだ、と、ノロノロとベッドを出て、空腹で何となくふらつく体を引きずって外出する事にしました。

 宿の正面の集合住宅地内を突っ切れば、徒歩3分の所にスーパーマーケットがあります。
 食事とともに、唇がガサガサだったので、リップクリームなどの生活用品もあわせて購入し、宿に戻ると、ロビーには、サイクルジャージ姿のタイ人が数名、くつろいでいました。

 「ハロー」
 「ハロー、ジャパン!ユー、フィニッシュト?」
 「ノー、アバンダン」

 両手を上げておどけてみせると、

 「オー!オールソー、ウィーアー!」

 そうか、タイの皆様もDNFだったのか。
 昨日のメイトを思い出し、親近感が湧いたので、私もソファーに腰を下ろして、話に混ぜて頂きます。

 「どこまで走った?」
 「タンテニアック。そこから先は、寒くて進めなかった」
 「2日目の夜?(そうだ、という答え)あれは寒かったな、日本の真冬並の冷え込みだった」
 「そんなに寒かったのか」

 タイの人達は、そういって深いため息をつきました。
 赤道に近い国ですから、今まで、一桁気温の中で行動する経験自体が、ほとんどなかったのでしょう。

 「ジャパンのみんなは、寒さ対策は?」
 「長袖ジャージに、長袖インナー、ウインドブレーカーやレインスーツを重ね着して凌いでいるよ。俺は登山用の、メリノーウールを中に着た」
 「日本ではそういうウェアも手に入るのか?」
 「冬が寒いからね。レインスーツは、ゴアテックス・ファブリックを使っている人が多い」
 「さすが、充実しているな」
 「雨の時や夜、とても冷え込むという情報は、過去に参加した人達からもらった」
 「タイは、初めて参加なんだ」
 「それなら仕方が無い。日本も初めてや二回目の時は、多くの失敗をしたよ」

 その他、日本やタイのブルベ事情について、色々な話をしました。
 タイでは、ブルベ参加者が物凄く多くて、PBPのような大集団で走行する事もあること。
 今年、初めて参加した人達は、その中でも精力的に走っている人達であることなど。

 話しているうちに、またも睡魔が忍び寄って来たので、部屋に戻ると、また寝てしまい・・・。

 結果的に、この日はほとんどを寝て過ごしました。 
 相当の疲労度だったようです。

 さすがにこれだけ寝ると、体も復調してきたようで、午後になると、食欲も復活してきました。

 その夜、ちゃりけんさんもブレストでDNFしたとの事で、無事に宿に帰還しました。
 ブレストからは、タイチームの皆様と一緒に行動していたようです。

 ブレストでは、コース上で最も多数のDNFが出た事もあり、私よりも多くのドラマがあったようですね・・・。
 (輪行組が多すぎて、TGVに乗れなかったとか・・・)

 その後、部屋でワインとビールを酌み交わしながら反省会。
 1,200kmの距離を走るには、「良い意味でわがままを押し通さないと駄目だ」という事で意見が一致しました。
 (西洋的な感覚でいう、「自己責任」を体現しないと駄目、という意味。何も、自分勝手に振る舞え、という意味ではない)

 お互いに初めての海外遠征、初めてのPBPという事もあり、それぞれに不安を抱えての参加だったため、国内のブルベでは当たり前にできている事もうまくできなかったというのが、最も反省すべき点だったかもしれません。

 翌日、ベロドロームに、ゴールする皆様の出迎えに行こう、と話して眠りにつきましたが・・・。
 朝から雨という天候を前に、予定をあっさり変更。
 車体をバラして帰国準備に入り、そして、順次帰ってくる皆様を宿の玄関で出迎えるという日になったのでした・・・。

4.エピローグ〜あの苦しくも、楽しい時間
 これでPBP2015の日程は全て終了しました。
 皆様のゴール、宿への帰着を見届け、日本人懇親会に出席して、コース上でお世話になった皆様などにご挨拶し、ベロベロに酔っぱらって、そしてその翌日、飛行機に乗って日本へと帰ってきました。

 日本人参加者の懇親会も、それはそれで非常に楽しいものでしたが・・・。
 やはりこのPBP2015の期間中、スタート前、DNF後、そして、PBP参加のための渡航期間中の全ての時間帯が、とにかく楽しい時間でした。

 コース上は言うまでもなく、コース外の、撤退中の電車内や、宿舎、ふと歩いている路上でも、とにかく、色々な場所で出会う地元の皆様や、参加者達との交流が、本当に楽しいものでした。

 観戦している皆様、参加者を応援に来たご家族などの皆様と声を交わし、ハイタッチを交わした思い出。
 「ヘイ、ジャパン!」と声をかけてくれた、多くの参加者の皆様の笑顔。
 撤退中に雑談を交わした、"撤退者同盟"の仲間達。
 ドロップバッグ受け取り場所だった私達の宿所まで、迷子になっていた日本人参加者を何人も案内してきた、地元のサイクリストのドヤ顔(笑)。
 (このサイクリストが、いいキャラしていたんだよな〜。あのドヤ顔は、忘れられそうにない ^^;)

 色々な皆様との交流が、とにかく楽しい思い出になっています。

 PBPは、やはりお祭りなんだな、と思うとともに、自分と世界中のサイクリスト達との距離が、一気に近く感じられるような、そんな雰囲気があったように思います。
 (今でも、どちらかと言うと、コース外交流の方が、良い思い出として残っている)

 こういう感覚になったのは、どうやら私だけではなかったようで、PBPの正規日程が終了した翌日、パリ市内でPBP記念ジャージを着ている人を見かけると、おっ!という気分になり、それが参加者の目印になって、様々な国からの参加者の皆様と声を掛け合うきっかけになった、という皆様も多くいらっしゃったようです。

 そして私は今回は、初参加という事もあって、自分のペースを見失ったり、取り戻せなかったりして、DNFになってしまいました。
 しかし・・・不思議と、悔しさはないのですよね・・・。

 今、考えているのは、悔しさからのリベンジではありません。

 あの楽しさをもう一度、感じるために、あの舞台に戻りたい!

 という気持ちです。

 4年後、自分は一体、どうなっているのでしょうか。
 仕事はちゃんとやれているでしょうか。
 まだブルベを走っているでしょうか。

 そして、この舞台の楽しさを、まだ覚えているでしょうか・・・。 

 今から考えても仕方がない事かもしれませんが、今度こそ、1,200kmの全ての距離を楽しみ尽くしたい、と、今はそんな事を考えています。

 ・・・まぁ、せめて、ブレストまでは到達したいよね・・・(^^;)。

5.最後に、DNFまでの過程を振り返る
 DNFまでの過程は、自分で振り返っても、あまり面白味のない話に終始することが多いですが、次回のために、色々解析した結果を記録しておきます。

 まあ、自分でも、「これは酷いなぁ」と、唖然としましたので・・・(^^;)。

 今回、とにかく苦しんだのは、ルデアック以降でした。
 寝ても寝ても、取れない睡魔に体を支配され、クランクを回す力がまるで出てこず、判断力も落ちたのかミスコースを連発し、自分の記憶にないクラッシュも経験していたりして・・・。

 この区間は、既に色々美化が進んでいるPBPの記憶の中でも、最悪に苦しかった、というタグ付けに成功したようで、今でもとにかく酷い記憶が残っています。

 で、実際に区間所要時間等を計算してみたところ、「どうしてこんな事になってしまったのか・・・」と唖然とさせられる結果になっていました。

 以下、左からPC、区間距離、所要時間(太字)、貯金、地名の順で書き下しますと・・・(ルデアック以外は、PCで1h停止と換算)。

PC1 220km 12:08 2h32min  ヴィレンヌ
PC2 89km 05:00 2h29min  フジュール
PC3 54km 04:00 1h21min  タンテニアック
PC4 85km 07:24 -1h04min  ルデアック
Sec. 45km 05:00 -2h30m(DNF)  サン・ニコラ(アバンダン宣言して2h寝た)
撤退 33km 02:40 駅直行  カレ・プルゲール(借金時間は5hになっていた)


 フジュールくらいまでは、まあ、想定に近い(やや遅れ気味ではあった)時間で走れていますが、それ以降がどんどん悪くなっていますね・・・。
 とはいえ、フジュール、タンテニアック間は、一緒に走っていたメンバーの体調不良により、少しペースを意図的に落していたので、まだ許容範囲の数値です。

 問題はその先、タンテニアック以降の急ブレーキっぷりが、恐ろしいレベルである事です。

 これはちょっと、普通じゃないですよね・・・。
 85kmの所要時間が7時間以上とか、国内ブルベでは、ここまでグダグダになった事は無いレベルなのですが・・・(時速に直したら12km/h程度・・・)。

 もっとも、この区間はミスコースしてパリに戻っているわ、ちょっと寝るつもりが爆睡かましたわ、何をやっても睡魔が取れずに苦しんだりしていましたから、その状況が残酷なまでに数字に出ていると言えるでしょう。
 いやほんと、ここまでグダグダだったとはね・・・。

 そして、こんな調子で借金生活に突入でしたから、ルデアックではチェックを受けて、補給食を流しこんだら即スタートして・・・その先も相変わらずでした。
 再び盛大にミスコースして時間をつぶし、さらに居眠り運転で派手にクラッシュ(怪我や車体の故障がなかったのが不思議だ)して、と、グダグダも良い所だっただけあって、約10km/hの低空飛行を継続しています。

 撤退行含めて、カレ・プルゲールまでは行った、という話をした時、かなり沢山の皆様から、「そこまで行ったら、せめてブレストまで行けよ!」と猛烈に突っ込まれたわけですが。
 こうやって数字で状況を明らかにしたら・・・サン・ニコラの段階で、この先を断念したのもご理解いただけますよね・・・。
 (冗談抜きで、まっすぐ走るのが精いっぱいで、変速するのも面倒なくらい、睡魔で体がずっしり重かった。これ以上走ったら、事故を起こして死ぬ、と実感できたレベル)

 なお、サン・ニコラ~カレ・プルゲール間は、上では区間距離を正規コース上で計算していますが、この区間でも見事にミスコースやらかして、正規コース+10kmほどを走っています(完全に現在地をロストしていたのは、レポートした通り)。
 一応、サン・ニコラで仮眠した結果、約20km/h近いペースに戻せていますが、それでも、カレ・プルゲールの駅に到着したのは18日の13:10分(13:28分の電車で撤退した)でしたから、そこから無理矢理ブレストに向かっても、到着したのは夜になってからだったでしょう(PCは撤収された後でしょうね)。

 とにかく今回は、深入りして引き返せなくなる前に、あそこで撤退するしかなかったと思います。

 まぁ、とりあえず、こうやって分析してみてわかりましたが、今回は、体調が全く本調子からは程遠いコンディションだった事は間違いなさそうです。
 時差ボケだったり、渡航疲れだったり、色々あったと思いますが、やはり、色々な意味で余裕がなかったのかな、という感じですね・・・。

 4年後、またこの舞台に挑戦するのであれば、今回の経験を糧に、1~2日、早めにフランス入りし、休養と調整の時間を十分取った上で、本番の実走に臨むことにしましょう。
 (というか、時間内完走している皆様って、やはり前後に1~2日くらいは余裕を見た日程で行動しているんですよね・・・。車検前日の夜、パリ到着で、現地時間で夜半過ぎまで車体組上げに時間を取られていたのでは、日本時間で完徹かましているのと同じでしたから・・・)
 
 あと、12時間の飛行機内で、あまり寝られなかったのも痛かったな・・・。
 今思えば、少し誘眠剤がわりにアルコールを飲んでおけばよかったな、と思います(あまり酒が好きではないのでね・・・ ^^;)。

 今回のDNFは、突発的な要因ではなく、海外遠征という初めての経験に戸惑い、結果的に対応がうまく行かずにズルズルと不調を引きずったまま、落ちて行った・・・。
 何だかそんな感じですね。

 でも、それならば、トライアル&エラーで次に備えればいいのです。

 アバンドナー・コミュニティのメイトも言ってたじゃないですか!

 俺達は4年後、またルーキーの新鮮な気分でチャレンジできるんだぜ!


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コメント
連載熱血冒険小説読了!
半分以下の走行でこれだけの情報量なのだから、もし完走してたら・・・。惜しい、つくづく惜しい。それにしても夜スタートロングブルは、事前睡眠が命なのですね。
2015/09/07(月) 00:15 | URL | KOMA #-[ コメントの編集]
宮城ブルベに参加するようになってから、時々拝見しておりました
いつも楽しく読んでましたが、流石に異国の地だと濃いですね。凄くおもしろかったです
2015/09/07(月) 04:01 | URL | GUEST #-[ コメントの編集]
Re: 連載熱血冒険小説読了!
KOMAさん、コメントありがとうございます。

完走していたら・・・途中でレポートが尻切れになって、完結しなかったかも、ですね(^^;)。
ここまで書くのも、かなり大変でしたので・・・。

夜スタートは、とにかくすぐに睡魔につかまりがちなのが怖い所です。
私も、どちらかと言えば夜スタートは苦手ですね・・・。
2015/09/07(月) 12:32 | URL | YO-TA #-[ コメントの編集]
Re: タイトルなし
GUESTさん(こう呼ばせて頂きます)、コメントありがとうございます。

海外ブルベが初めての経験でしたし、欧州圏に行ったのも初めてだったので、色々、勝手がわからないことだらけでした。
日本の常識が全く通じないのは、不安でしたが、途中からは面白くなってきたりもしましたね(^^;)。

また、PBPのボランティアスタッフの皆様は本当に親切で、言葉が通じない私達、海外の参加者相手に、本当に良くしてくださったと思います。

4年後、またこのお祭りに参加したい気持ちでいっぱいです。
2015/09/07(月) 12:36 | URL | YO-TA #-[ コメントの編集]
No title
いやあ、いいなあPBP!と心の底から思う文章でした。
ぜひ私も撤退者同盟に入り…たいかもなあ、割と真面目にw
2015/09/07(月) 13:20 | URL | 漬物 #-[ コメントの編集]
Re: No title
漬物さん、コメントありがとうございます。

いや、割と真面目に、撤退者同盟は居心地が良かったですよ(^^;)。
まあ、4年後また同じ列車で会おう、と言われても、「No Way!」なんですけどね(^^;)

PBPは、色々な意味で楽しいお祭りでしたね!
コース上はつらい思い出も多いですが、なぜか世界中のサイクリストたちとの交流については、楽しい思い出がいっぱいです。
2015/09/07(月) 18:37 | URL | YO-TA #-[ コメントの編集]
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Author:YO-TA
2011年7月に東京から仙台に移住。
相変わらず、デジカメ片手に、サイクリングやハイキングを楽しんでいます。
突然、突拍子もないことをやらかしますが、それはまあ、ご愛嬌という事で…。

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