日々是遊歩。見て、聞いて、感じて、それを殴り書き。

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ひたすら苦しんだ1日 2015Fleche東京 参加記録

 さてさて、最近、少々興味深い本を見付けてしまい、現在、読み始めようとしている所です。

「南太平洋戦記 ー ガダルカナルからペリリューヘ」中央公論新社
 ロバート・レッキー:著、平岡緑:訳
 (原題:Helmet for My Pillow)

 戦後70年という節目の年であるとともに、最近、様々な形で、この時代の事を再度、評価しようという動きがある事などから、色々、気になった本でした。
 この本は、以前、紹介したユージーン・スレッジ氏の著作、「ペリリュー・沖縄戦記」(講談社学術文庫)とともに、アメリカのドラマ、「The Pacific」の原作になっている作品です。

 あの時代における、「敵の目から見た、日本という国とその兵士」という観点の記録は、まあ色々あるにはあるのですが、実際の「最前線」における体験者の手記というのは、特に日本で読めるものは、それほど多いわけではありません。
 大体、あの時代を題材にした、アメリカ側の作品は、ほとんどが「バンザイ突撃してくる日本兵に重機関銃ぶっ放して、正義は勝つんだYeah!!」という感じであり、今となっては、見ても頭痛しか感じない場合が多いわけで・・・。

 ユージーン・スレッジ氏の著作を読んだ時には、後に大学教授を務めるほどに理性的な人物であったスレッジ氏でさえ歪んで行く「戦場」の恐ろしさとともに、戦後、「様々な思惑で歪められたその実態」がうっすらと透けて見えるような、そんな感覚を呼び起こしてくれましたが・・・。
 今度の作品は、日本人にも強く印象の残る「ガダルカナルの戦い」を含む、最前線の体験記です。
 さて、読後に、どんな感覚を呼び覚ましてくれるのでしょうか・・・。

 では本題です。
 既に一週間が過ぎてしまいましたが、2015年のFleche405東京に参加してきました。
 昨年も参加して、普段のBRMとはまた異なる面白さを堪能してきたのですが・・・少し難しいのが、Flecheは3人以上、5人までのチームで走るという所です。

 普段、走行ペースも違い、得意とするコース条件も異なるメンバーがチームを組んで、24時間を走る・・・。
 それは、やってみなければわからない困難さと、面白さを秘めています。

 そんなFlecheに、今年もランドヌール宮城チーム、「みちのくおだつもっこズ」の一員として参加させて頂く事になりました。

 コースは概略で、宮城県名取市~福島県梁川町~福島市~郡山市~いわき市~茨城県北茨城市~高萩市~日立市・・・と鹿島市まで茨城県の太平洋岸を抜けて、千葉県成田市に至る、約370kmのルートを予定していました。

 さて・・・24時間の顛末は、非常に長くなったので裏置きします。
 興味のある方は、以下のRead moreをクリックしてください。

 ・・・あ、先に言っておきますが、今回は色々あって、ほとんど画像撮影ができなかったので、テキストオンリーです(^^;)。
 まあ、撮るには撮ったのですが、トータル8枚のみであり、その中でレポートに使えそうな物は、と言えば・・・という状況だったのをお察しください・・・。


1.スタート地点へ
 4/3日 18:30頃
 仙台駅付近でラーメン屋に入って事前補給を終わらせた後、阿武隈急行線直通の電車に乗って、輪行でスタート地点へと移動を開始しました。

 直前の天気予報では、3日の夜から4日未明にかけて、雨の予報が出ていましたが、どうやらそれは杞憂に終わりそうな雲行きでした。
 数日前に、レインコンディションを考えて、ゴアテックスのキャップと、防水透湿性素材のオーバーグローブ(アウトドア用)を更新購入してあったのですが、今年は「雨に備えたら降らない」のジンクスを見事に継承したようです。

 スタート地点に近い、宮城県名取市の館腰駅に輪行で到着すると、駅前に山形一号さんが到着しており、準備中でした。
 事前補給をしたいから、と、先に出発される姿を見送り、私もゆっくり準備をしてスタート地点に設定されたコンビニへ移動します。

 スタート地点のコンビニには、既にちゃりけんさんも到着済みでした。

 互いに挨拶を交わし、近況を報告。
 どうやら皆様、それぞれに「走れていない状況」とのことですが・・・どう考えても病み上がりの自分が一番ヤバそうな・・・(^^;)。

 ほどなく、チームリーダーのT.Sさんも到着し、スタート時刻の19:30のレシートチェックを行った上でスタート!
 24時間、360km以上の旅・・・に、なるはずのライドがスタートしました(意味深)。

2.逆風と高温と
 館腰駅付近を出発した直後は、風は北東から吹いており、追い風で楽ができるかな、という楽観とともにスタートできました。

 その後、岩沼市の南で国道4号から逸れて、角田、丸森方面に流れると、風向きが変化します。
 今度は、右(東)から強烈に吹きつける横風に変化し、建物などの遮蔽物が無くなった場所では、強烈に車体を横に押す力が働きます。
 場所によっては、まっすぐ走るのも大変で、前輪を押し倒そうとする力の大きさで、ホイールが歪んでいる事を痛感できるくらいで・・・。

 南下を続けて阿武隈川沿いに出ると、風速は変わらぬまま、完全な向かい風に変化しました。
 この時点で、緩くローテーションを回しながら走るという暗黙の了解のもと、山形一号さん、ちゃりけんさん、私、T.Sさんの順に先頭を走ります。
 自分が先頭の時は、風に何とか抵抗しようと踏み込むものの、ナイトライドの暗闇の中ということもあって、とにかく風景が変わらず、前に進んでいる気が全くしなかったのでした。

 昨年のパンク修理停車地点で、一旦、休息をとり、その際に装備を換装します。
 昨年のFlecheの経験から、この時期の夜は冷えると思っていたのに、想定外の高温で暑かったことから、雨を想定して着ていたレインスーツを脱ぎ、モーフィスジャケットを袖なしで、ジレの形で装備。
 このまま、PC1に設定していた梁川のコンビニまでの道は、そこそこ快調に飛ばし、最後は私が前を引く形でチェックに。
 この時点では、「この感じなら、体は大丈夫そうだ」という手ごたえを感じるほどの状態でした。

 逆に、メンバーの中ではちゃりけんさんのコンディションがあまり上がらないようで、阿武隈川沿いの酷道ゾーンを走る間、少々、苦しい思いをされていたようです。

 ・・・そういえば、ブルベのあるあるネタに、「自分より調子の悪い人を見ると元気になる」という物があった気がするなぁ・・・(酷い話だ ^^;)。

3.最初の異変
 梁川を出て、コースは福島市~郡山市までを阿武隈川沿いに南下し、郡山市で国道49号をいわき市方向へと転進する形になっていました。

 走り出してすぐは特に問題がなかったものの、1時間ほど経ってから、徐々に周囲が冷え込んできたことを意識し始めます。
 ・・・そういえば梁川のPC1では、「去年はこの段階で一桁気温で、ここから南が氷点下だった」などと軽口を叩いていました。

 それを思い出していながら、なぜ装備を軽いまま(ジャケットに袖を装着していなかった)にしていたのか、と、今になって思いますが・・・。

 福島市街地の南で阿武隈川を西に渡り、国道4号バイパス沿いに郡山まで南下を開始すると、新道線形にありがちな、なるべく直線に近く線形を取るために、だらーっと登って、だらーっと下る道筋の繰り返しが続きます。

 坂の勾配は緩いのですが、2~3km以上登りっぱなしという区間も普通であり、ここで私はずるずると遅れるようになり始めます。

 何というか、心肺機能がついてこないというか、呼吸はゼエハアと激しくなっているのに、一向に酸素が体に入ってこないような、不思議な感覚が出てきています。
 そのためか、長い坂道の途中では、酸欠のような感じで、意識がぽわーっとなり始める兆候を見せる時もあります。

 それでも、視界には前走者のヘルメット尾灯のチカチカが見える範囲をキープしてついて行こうとしますが・・・。

 とある長い下りカーブの途中で、そのテールランプを見失ってしまいます。
 行く先に、ゆるやかに続く上り返しのカーブは、数キロ先まで見通せていますが、自転車のテールランプや、ヘルメット尾灯のような光は見えません。

 後方からT.Sさんに、途中の道の駅に入ったかも知れない、と声掛けをいただき、道の駅まで引き返したら・・・見覚えのある車体が2台、停車中でした(^^;)。
 カーブの先で姿が見えなくなったタイミングで、道の駅に逸れるスロープに入っていたため、先行者を見失っていたのでした・・・。

 良いタイミングなので、モーフィスジャケットに袖を装着し、昨年、氷点下の中を走っても、夜間に冷え込んだ函館400を走っても問題がなかった装備構成に、服装を切り替えました。

 しかし、この時点で気付くべきでした。
 自分の体が、暖かいドリンクを飲んでも、震えたままで温まって来ないことに・・・。

 そこから先、郡山市南部に設定されたPC2までの区間は、地獄の苦しみを見ることになりました。
 高負荷走行で息が続かない現象に加えて、体が温まらず、踏んで、回しているつもりなのに速度が出ないし、登れない・・・。
 信号待ちで止まると、顎がカチカチ音をたてて震えています。

 低体温症。

 その言葉が頭に浮かんだのは、郡山駅前を回避すべく、新幹線の東側に進路を取ったくらいでしょうか。
 これ位になってくると、自分が感覚で認識していたPC2の位置と、実際の位置に大きなずれが生じているなど、思考にも不整合が出てき始めています。
 (前を行くT.Sさんに、「次のPCって、こんなに走りましたっけ?」とか、間抜けな事を聞いていた覚えがある)

 この時の体調の状況であれば、普段のブルベだったら、ここで郡山駅の標識が出た時点で、そっちにハンドルを切ったでしょう。
 あるいは、タイムロスを覚悟で、24時間営業の店で、温かい食事か仮眠をとって、一旦落ち着いてから善後策を練ったでしょう。

 しかし、これはFleche。
 動ける限り、チームで一丸となって、可能な限り遠くまで走るのが目的になります(どういう理由かは不明だが、一箇所での休憩時間が2時間を超えてはいけない、という規定まである)。
 殿で遅れている私を、坂の頂上や交差点で待っている仲間がいる限り、前進を続ける必要があります。

 PC2に到着した時点では、フレームから降りると全身が小刻みに震えている状態でした。
 「顔が土気色だ」と指摘されたので、多分、傍目にもこれは駄目な状態だ、と、わかる状況だったに違いありません。

 豚汁とおにぎりを補給しましたが、正直、温まった気はしませんでした。
 また、このPC2には、昨年のFlecheの途中でも激励をいただいたYさんが駆け付けてくださっていましたが、最初、そうとは気付かなかったほど、周囲の認識力に欠けていました。

 普段のブルベだったら、確実にここでやめて、郡山駅前の24時間サウナに飛び込んでいたでしょう。

 これから海岸へと峠を越えるのですから、寒さで震えて、力が出ずに走れない、登れない状態では、大きく足を引っ張ることになるのは確実です。
 しかし、メンバーからは「朝になって、温かくなれば回復する」「もう少し頑張ってみよう」との励ましをいただき、自分の中で、いわきまでは頑張ってみるか・・・という欲が芽生えました。

 少し行った先に、夜間も待合室が解放されている駅があるとのことで、そこで仮眠を取ることにして出発。
 このとき、サイコンの始動を忘れていることに気付いたのは、仮眠が明けてからでした・・・。

4.最大の山場を越えて
 一時間の仮眠後、ある程度体調は上向きになりました。
 睡眠というのは、人間の生理上、本当に重要なものですね。

 ただし、この段階で喉の奥がガラガラになって、空咳が出はじめていたのが気になりましたが……。

 その後は、走行距離が合わなくなったサイコンの距離表示を、ずれた分だけを足し引きして計算しながら、峠までの距離を測ります。
 途中の道の駅で、もう一度、中程度の休止を入れて、さらに体長は上向きになった・・・と思いましたが、3段階にピークを越える峠は、心肺にも筋肉にも厳しい場所であり、私はまたもズルズルと後退していきます・・・。

 峠の頂上でメンバーが待っている姿が見えるのが嬉しくて、そして、私の到着と同時に走り始めるのがちょっと恨めしく思われ(完全な逆恨み(^^;)。休憩したいと思っても、時間のロスの元凶が、さらに時間をロスさせるわけにはいかない)、お互いに自分のペースで走れない事に対するイライラがあったかもしれません。

 この3段峠を越える間に、気温は最低で6℃まで下がっていました(道路の気象情報表示板による)。
 東北地方のこの季節なら、特に珍しい寒さではありませんが、寒いものは寒いのです。
 去年の、-2℃を数時間、というほど悪いコンディションではありませんでしたが、スタートが15℃くらいと温かかったのが、装備換装等の判断を鈍らせてくれていました。

 いわきのPCに到着した時間は、4日の午前5時~6時くらい。
 そろそろ、温かくなってくれてもよい筈の時間帯ですが、空は曇って陽光は届かず、風は冷たいままでした。
 それでも、いわき市の内郷のコンビニでは、「五目あんかけ焼きそば」とともに、「肉豆腐」まで頬張るほど食欲も回復し、周囲からも「回復したね~」と言われるほど、快調になっていました。

 しかし・・・この時、いわき駅に向かってDNFする、という選択肢もあり得たことは、この後の展開を知っている今だから言えることでしょうね・・・。

 この段階での回復は、本当に一時的なものに過ぎず、動物の行動として捉えて言うなら、脳内麻薬がドバドバ出ており、安全な場所まで避退する行動を容易にする防衛反応程度のものでしかなかったのだと思います(ヒトも動物の一種なので、そういう事はよくある)。
 しかし、気温もそれなりに高くなり、食欲も増して、これは回復に向かっているのだろう、と考えてしまったことが、この後の決定的な状況へと繋がって行きます。

 この後も、上がらぬ気温(最高で12℃か?)、曇ったままの空の下、温かさは微塵も感じられぬままに道を進むことになり、氷点下に耐えたはずの装備を、もっと厚くすべきか?という考えまで浮き上がってきました。

 唯一、楽観できる材料は、海岸沿いの吹きっ晒しの道に出た途端、風が追い風になったことです。
 ・・・ですが、この風は冷たく、停車中でも容赦なく背中に吹き付けて、体温を奪ってくれる敵でもありました。

 4日の正午が近付くと、呼吸が激しくなると、胸に痛みが走るようになり始めます。
 気管支が悪いのか?大丈夫なのか、これは、という思いとともに、今まで以上に出力が上がらず、平地でもダンシングで加速しないと、メンバーの速度についていけない状況になってきます。

 正午近くなると、悪い事に、睡魔も併発されてきました。
 のど飴を口に放り込んで眠気を紛らしつつも、信号待ちでスポッと意識が落ちたりします。もちろん、これは危険だな、という思いが出始めます。

 途中、色々と気を使っていただいて、食事に入ったりもしたのですが、この時の私は、空腹を満たすことよりも寝ることを優先させたいレベルの睡魔にやられていました。
 オーダーしたつけ麺は、半分ほど食べられたでしょうか?
 普段なら、美味しそうだとかぶりつくであろう厚切りのチャーシューは、とても食べる気になれませんでした。

 教訓:生物の三大欲求のうち、睡眠欲は他を圧倒するレベルの強さを持つから、逆らってはいけない。

 食後はそのまま、テーブルに突っ伏すように眠っていたようですが、正午になって、そろそろ行こう、と促されて、再びコースに戻ります。

5.そしてDNFへ
 そのままコースに沿って2時間を走り、その間、海が見えたり、学生時代の思い出がある東海村の原子力研究所前を通過したりしましたが、カメラのシャッターを押す気力もありませんでした。
 もっとも、この時はゴワゴワするレイン用オーバーグラブ装備(寒風除けとして装備)で、カメラを扱える状態ではありませんでしたし、昨今の情勢から考えると、原子力施設の正面玄関を、真正面から写真に納めさせてもらえるとは思いませんが・・・。

 そのまま、力の入らない体で国道沿いに南下をつづける中、視界の隅に、「勝田駅」という表示が見えた時、同時に浮かび上がった「常磐線」という単語に、完全に心が折られました。
 勝田駅は常磐線。
 いわきから北側は、未だに津波被害で閉ざされている(線路が流されて存在しない)けれど、上野、東京まで出れば、ゴール予定地点の成田までの移動もできるし、仙台に戻ることもできる・・・。

 「ここを右に曲がって、勝田駅に向かいます」

 多分、そんな事を言ったと思います。
 この時点で空咳が止まらず、息をすると喉を焼くようにヒーヒーと音が鳴り、まあ、さすがにそこから先を行くのは無理だと、メンバーの皆様全員が判断したようです・・・。
 (ちゃりけんさんによれば、顔面蒼白で、風邪かもっと酷い病気かを呼び込みそうな感じだった、との事で・・・・ ^^;)

 コースから勝田駅までは5kmほど。時間も結構ぎりぎりの状態だったので、メンバーの皆様に同行いただくのは気が引けたのですが、よほど私の状態が悪かったのか(^^;)、全員にお見送りをいただいてしまいました。
 駅前で車体を輪行袋にパッキングをして、残るメンバーの皆様を見送ってから、撤退を開始しました。

 時間は14時頃。サイコンには、262kmの数字が残っていました。
 未測定区間の距離を追加すると、276kmほどになる筈です。
 ここから国道~勝田駅までの5kmを除けば、私の旅は、18.5時間、271kmで終わった事になりました。

 しかし、ここまで来る事ができたのは、チームのメンバーの皆様のサポートがあっての事です。
 また、ペース配分に休憩のタイミングなど、調子の上がらない私に合わせて、時間の許す限りの間隔と時間を取って頂かなければ、とてもここまでは辿り着けなかったでしょう。

 実際、普段通り、一人で走っているブルベであれば、とっくにDNFしている状況でした。
 夜半に通った郡山の段階で、いつものブルベならここでやめているなあ、と、そんな事を考えていましたからね・・・。

 とにかく、一人ではなかったからこそ、ここまで走る事ができた・・・反面、一人でも欠ける事がチーム全体の士気に関わりそうで、なかなかやめるにやめられない、という恐ろしさも感じていたり・・・(^^;)。
 まあとりあえず、私の今年のFlecheはここで終了でした。
 (今にして思えば、よく勝田駅方向への標識を見落とさなかった物だと思う。前後の記憶は、かなり曖昧だから、相当、やられた状態だったはずだし・・・)

 その後、残るメンバーは、少々時間との勝負になったようですが、何とか22Hの位置証明と、その後の25km以上走行をこなし、372kmほどを走破したとのことです。
 私のために、勝田駅まで余計に30分ほどの寄り道になってしまい、足を引っ張ったのではないかと思っていましたが、私個人はともかく、3人での完走条件を満たしたようで、安心しました。

6.そして撤退の旅
 さて、私の撤退行に話を戻すと、勝田駅からは、特急~新幹線を乗り継げば、18時前に仙台に戻れるようでした(常磐線がちゃんと繋がっていた頃ならば、もっと短時間で帰れたはずだが・・・)。
 まだ走り続けているメンバーの皆様には申し訳ありませんが、体調を考えて仙台に帰ることにして切符を取り、待合場所のベンチに落ち着いてから、主催者にDNFの連絡をメールで入れます。

 その後、時間を置かずに到着した特急に乗ると、そのまま眠りこんでしまい、次に気がついたのは、間もなく上野に到着する、という車内アナウンスが流れている時でした。
 慌てて準備して電車を降り、今度は東北新幹線に乗り換えです。

 新幹線に乗り換えた時、主催者の方から、「懇親会はどうするか?」という連絡をメールでいただいていたことに気付き、そういえば、DNF連絡の時に、その事をお伝えするのを忘れていた、と、再度、このまま地元に帰るためにキャンセルである旨を連絡しました(急な変更で申し訳ありませんでした・・・)。

 その後は仙台まで、まったく意識がありませんでした。

 18時前に仙台に到着し、「確か、今の時間ならいつもの医者は診療時間内だな」と思いついたので、さっさと地下鉄に乗り込んで、輪行袋を担いだまま病院に突入するという離れ業を演じました(^^;)。
 (デカイ荷物を抱えた、何とも元気な病人である ^^;)

 医師の診察の結果は、「喉の粘膜が乾燥して、軽い炎症を起こしている。多分、乾燥した冷たい空気を吸いすぎたのが原因で、胸に痛みがあったのは、冷たい空気が粘膜で適度に温められないまま、ダイレクトに肺に入っていたからだろう」とのことでした。
 とりあえず、タン切れが良くなる薬を処方された後、汗臭い装備そのままの私に、医者は「どんな運動をしたの?」と聞いてきます。

 私「え~と、自転車でいわゆるサイクリングみたいなものを・・・」
 先生「どれくらい走ったの?」
 私「名取から・・・水戸の近くまで・・・」
 先生「ん?泊まりがけの旅行か何かだった?」
 私「いえ、そこまで昨日の夜スタートで、18時間くらいで走ってます」
 先生「はぁ?」

 その後は、見事にお説教を食らいました(^^;)。

 インフル感染時にもかかっていた医師の所だったので、病歴はバレバレです。
 インフル明け2週間程度の体で、そんな無茶をする馬鹿がいるか!再発させたらどうする!肺炎になったかもしれないぞ!そうなったら入院だ!趣味や仕事どころの話じゃないぞ!と・・・(反論できない・・・ ^^;)。

 インフルエンザはご存じのとおり、高熱で何日も寝込むのが確実な病気であり、免疫力が弱っている人だと重篤化し、死に到ることも珍しくない、恐ろしい病気です。
 治ったから、といっても、体の消耗は確実に進んでいますから、そんな体でいきなり激しい運動を始めると、免疫系が弱っている体に、別の病気を呼び込みかねない状態になるとのことです。
 運動を始めるなら、いきなり激しいことをやらずに、もっと軽いトレーニングから始めなさい、と、追加でたたみかけられ、「2, 3日たっても空咳が止まらなかったり、発熱したりした場合、もう一度来ること」というダメ押しまで食らいました・・・。

 まあ、患者のためを思っての、愛の説教ですから、反省しないと、ですね(^^;)。

 そんなこんながあって、自宅に戻ったのは、20時を少し回ったくらい。
 シャワーを浴びて、汗で汚れた装備を洗濯機に放り込んで、ベッドに寝転がったら・・・翌朝まで全く目覚めず寝ていました。
 部屋の電気すら、消すのを忘れていました(^^;)。

 あ~、やっぱり、体はかなりやられていたんだな~、と、久しぶりの筋肉痛でミシミシと軋んでいるような体を何とか動かしつつ、後始末に追われたのでした・・・。



 というわけで。
 今年の開幕戦は、DNFで終了でした。

 今年は・・・今思えば、事前調整で色々と問題がありましたね。

 とにかく、仕事で海外に一ヶ月以上出ているなど、まともに自転車に乗れない時期が長かったのも確かです。
 また、晩秋〜冬の入口に、マレーシアという赤道直下の国に行っていた事から、例年よりずっと寒さに耐性のない体になっていたのも、肌で感じていました。
 (今年の冬は、特別寒いという訳ではなかったと思うが、アウターに、例年なら使わないダウンライナーを装着しないと耐えられなかった)

 とどめの一撃で、本番直前にインフルにかかって一週間、高熱にうなされ、回復したと思ったら、一週間休んだ分の仕事の穴埋めが待っていて、ずっと深夜帰りの日々が続き、直前にちゃんとコンディション調整をできなかったことも、今回の敗因に加わるでしょう。

 というか、やっぱりインフルエンザって恐ろしい病気ですわ・・・。
 高熱が下がった直後の、明らかに体のパフォーマンスが落ちている感じや、体に力が入らない状態(全身の筋肉がやせ細ったように感じた)が、未だに抜けきらない部分もありますし。

 それでも、オールナイト含みの271km走行ができたのは、それなりに評価しても・・・あ、やっぱりダメですよね・・・(^^;)。
 そこまで走れたのも、チームのメンバーのサポートがあっての事ですから、ここでまたヘマを打つような真似はできません。
 今は、徐々に負荷を高めるようにしないと・・・。
 (また医者の先生に怒られる ^^;)

 ま、それにしても、ネットの世界広しと言えども、ブルベの話題の中に、家族がインフルエンザで倒れて、看病のためにDNS/DNFという話は結構あれど、自分がインフルエンザに倒れてから、再開するまでの記録って、ないものですよね・・・。
 いい機会だから、お前が書け、と言われそうですけど・・・(^^;)


 あ、そういえば・・・。
 今回のFlecheが終わった直後に少々、話題になっていた事の中に、「Fleche走行中は、フェリー使用はOKだけど、鉄道輪行はNGなのだろうか?」という物がありました。

 この件に関しては、正式な見解がどうだ、という部分は、Fleche Japon規定などを参照頂くとして・・・基本、フェリー等による海峡横断や、島嶼部から本土等への移動は、特に問題とされない場合が多い反面、鉄道輪行は問題となる場合が多いようですが・・・。

 この辺りは、Flecheの規定をもとに、私が勝手に、個人的に考える所によると・・・。

○フェリーでの移動
 海峡の横断、島嶼部から本土への移動等が主である。
 架橋が不可能な場所などでは、物理的な自走手段がない。
 →自転車で水面を走れるわけがないので、利用はOKとする。

○鉄道での輪行
 基本、地続きの場所の移動であり、青函トンネルのような海峡トンネルや、余程険しい山岳地帯等を除けば、並走する道路があるのが一般的。
 →自走できる道路があるなら、そっちを走れ(心の声:サボってんじゃねーよ)。

 という解釈だと考えれば、納得できる部分が多いのではないでしょうか?

 Flecheはあくまでも、「24時間で、どこまで自走できるか挑戦する」ものですから、「自分の脚で走れ!」が基本のルールです。
 しかし、「物理的に交通が分断されて、自走での通過が不可能な地形がある場合のみ、補助的に一般的に利用される交通機関の利用も可とする」という風に考えておくのがよろしいかと・・・。

 注意:以上の輪行等に関する解釈は、あくまでも個人の見解であり、正式ルールに基づく解釈ではありません!!

 今年は、今現在、走行中のはずのAJ広島主催、そして、AR日本橋主催のFlecheが予定されていますので、コース設定のご参考まで・・・。
 (実際の解釈については、各主催者に問い合わせるか、またはFleche Japon規定をご確認ください!)


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コメント
ほんとうにお疲れ様でした
YO-TAさんフレッシュではお世話になりました。読みながらあの二日間のことを思い出しています。
阿武隈川沿いの逆風の中、颯爽とみんなを引っ張っていた元気なYO-TAさんが、国道4号線あたりから徐々に遅れ始め、あきらかに身体に異変があることを悟っていました。
PC2が限界だったのではないでしょうか。同行者に医師がいたならドクターストップが出てたはずですね。
そこから長い夜を越え、朝になっても雲だらけでお昼になっても寒いままで・・・さぞかし辛かっただろうなあとお察しします。
勝田駅で別れたあと、みんなでYO-TAさんの根性について賞賛していました。チームのために精一杯頑張った勇姿。尊敬しています。
一緒に成田に行きたかったなあ。
271㎞。すごい距離ですよね。前半何度もYO-TAさんに助けられました。もし自分がYO-TAさんと同じ体調だったらもっと早く離脱していたと思います。
苦しかったけど、時が経てばそれも楽しい思い出に変わると思います。来年リベンジしましょう!ありがとうございました。
2015/04/16(木) 18:30 | URL | ちゃりけん #4A9T8td.[ コメントの編集]
しんどかったですが、課題もいろいろ見つかりました。
ちゃりけんさん、Flecheお疲れ様でした。

いや~、今回は本当に色々、調整不足を痛感しましたね・・・。
あと、引き際を考えるのも、なかなか大変でした(^^;)。

しかし、勝田まで行けたのは、皆さまのサポートがあってのことだと思います。
こちらこそ、本当にありがとうございました!

来年は、万全の体調でリベンジしたいですね!
2015/04/17(金) 19:00 | URL | YO-TA #-[ コメントの編集]
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プロフィール

YO-TA

Author:YO-TA
2011年7月に東京から仙台に移住。
相変わらず、デジカメ片手に、サイクリングやハイキングを楽しんでいます。
突然、突拍子もないことをやらかしますが、それはまあ、ご愛嬌という事で…。

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