日々是遊歩。見て、聞いて、感じて、それを殴り書き。

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久々に読書感想文「ペリリュー・沖縄戦記」

 いやいや・・・またまたしばらくぶりの更新になってしまいました・・・。

 この間、私は本業の多忙があったり、路面凍結で自転車通勤が出来ないのでローラー台と戯れたりしていたのですが。
 先週末ですから、1/25〜27にかけて、風邪をこじらせた軽い気管支炎でぶっ倒れる、という事態に陥っていました(^^;)。

 いや〜、20日くらいから、喉の違和感を感じていたのですが、年度末という時期が時期だけに仕事を休めず、何とか騙しダマシ出勤していたのに、木曜日くらいから体調が急転直下で悪くなりはじめて、金曜午後からは、立っているのも辛い有様で・・・。
 金曜夜、自宅に戻ると、全身に物凄い悪寒が走り、そのまま発熱→3日間、寝床で唸る事になりました。

 ピーク時の体温は、見たくなかったので計りませんでしたが、38度は超えていたと思います(比較的楽になってから計って、37.5度だったから・・・)。
 ちなみに、職場にはインフルだとばかり思われていたようで、火曜日に出勤したら、歩くバイオハザードの扱いを受けてしまい・・・。

 空調の下で、マスク外して咳してやろうかと本気で思いましたが、リアルに死屍累々の惨状になりそうなので、やめました(^^;)。

 では本題です。
 冒頭に書いた通り、しばらくの間、風邪で寝込んだりしていた結果、色々と本を読む時間だけはあったので、らしくない企画の筆頭である読書感想文ネタで行きたいと思います。

 ・・・ええ、他にネタが無いからですが、何か?

 さてさて、そんな事は置いておいて、ご紹介する本ですが・・・。

ペリリュー・沖縄戦記
ユージン・スレッジ(著)、伊藤真、曽田和子(訳)
講談社学術文庫刊
(リンク先はAmazonですが、ステマやアフィリじゃありません)

 カレンダーを遡って、年末年始。
 実家に帰省していた私は、ケーブルテレビのディスカバリーチャンネル、ヒストリーチャンネル、ナショジオチャンネル、アニマルプラネットあたりをぐるぐるとザッピングする生活をしていました(廃)。
 まあしかし、地上波テレビ各局の番組のつまらない事といったら・・・という話は全く関係ないので、今は横に置きまして。

 そのとき、どこかのチャンネルで、アメリカのTVシリーズ、「The Pacific」の全話放送をやっていたので、第4章~第7章(グロスター岬/パヴヴ編~ペリリュー三編)までを視聴しました。
 そして今回取り上げるこの本は、その、「The Pacific」のペリリュー三部編と沖縄編の原典であり、「The Pacific」で主人公のひとりとして描かれていた、ユージン・スレッジ氏本人の筆による書だ、という事をネット情報で知ったため、早速、入手し、読んでみたのでした。

 で、読みはじめたら、止まりませんでした。
 書かれている内容は、あまりにも凄惨な状況であるため、残酷描写などが苦手な皆様にはとてもお勧めは出来ないのですが・・・。

 それにしても、本書の中には、色々と考えさせられる事が多くありました。
 「戦争は野蛮で、下劣で、恐るべき無駄である」と繰り返し述べられる、その言葉の重みがずしり、と両肩にのしかかるような読後感です。

 同時に、あの戦争での一般的な評価として広く知られている日本軍や米軍の姿が、実際にはかなり異なるものであり、何かの意図によって歪められた物であるような、そんな背景も感じられる内容でした。

 という訳で、詳細な内容は長くなるので裏置きします。
 興味のある方は、以下のRead moreをクリックしてください。

 さて、本書は最初に触れた通り、太平洋戦争に従軍した米軍兵士(海兵隊員)の視点で見た戦場の姿を描いた物になっています。
 当然ながら、彼らにとっての敵である、日本軍の姿も、克明に描かれています。

 太平洋戦争における日本軍と聞くと、大体の皆様が、バンザイ突撃こと玉砕戦法で自滅していった、という印象を強く持っている事と思います。
 しかし、この本を見る限り、バンザイ突撃(実際には、日本陸軍が得意としていた、いわゆる銃剣突撃の事だと思う)はガダルカナル以降の南洋戦線では行われておらず、硫黄島で見せたような「縦深防御作戦」による防衛により、米軍に多大な被害を与えていた事がわかります。

 そして、アメリカ海兵隊に所属していたスレッジ氏は、その戦いの最前線で実際に砲火を交え、銃弾を撃ち合い、その経験から、日本軍は敵として恐ろしく、そして油断のならない相手として感じていた事を記しています。

 一方で、戦後の様々な文献や、戦地証言、そして太平洋戦争を題材にしたアメリカ映画では、日本軍の愚直なまでのバンザイ突撃が描かれています。
 これは一体どういう事なのか・・・。

 これは、本書を読んだ結果ですが、現在、広く知られている太平洋戦線のイメージは、米軍の第二線級の戦線にいた兵士達が、必要以上に誇張した「武勇伝」を語った、いわゆるホラ話が定着した結果ではないかと感じられました。

 米軍の戦術を見ると、まずは実際に上陸戦(欧州でのノルマンディ上陸戦のような事を、太平洋の各島嶼部で展開した)や敵地防衛戦の突破などを主任務として真っ先に派遣される「海兵隊」がいて、海兵隊が確保した橋頭堡となる地域に陸軍が展開するのが常です。
 そして、陸軍の中には最前線で戦闘をする兵員もいますが、比較的安全な後方で兵站を担当したり、飛行場や道路の整備などを行う兵員もまた、多数、派遣されてきます。

 この、後方で兵站や施設整備を担当する第二線級の兵員は、日本軍と前線で顔を合わせる事は、ほとんどありませんでした。
 本書の沖縄線での記述の中で、最前線で砲火を交えているスレッジ氏のもとに、同じ沖縄に後方支援で派遣されてきた故郷の旧知が、「今度そちらの陣地に遊びにいくぜ!」という手紙を送ってきて、砲弾が頭上を飛び交う中で苦笑した、というエピソードがあったこと。
 また、ペリリュー島において、最前線の塹壕で警戒中に後方支援の兵士が2名、フラフラと通りかかり、日本兵からの鹵獲品を買い取るぞ、などと話しかけてきた挙句、「最前線ってどこだ?」「あんたが今通り過ぎた所だ」というやり取りの後、慌てて走って逃げていった、などというエピソードがあったこと。

 こういった事を考えると、戦後間もない頃から出回った戦場体験記の多くは、実際の最前線兵士の物ではなく、第二線級の位置にいた兵員達の吹聴するホラ話が主であったのではないか、というのが私の感じた事です。
 そして、そのホラ話がさらに歪んだ形で勝者・敗者の間に伝わったのが、現在、広く知られている太平洋戦線の姿なのではないかと思います。

 私にこのような考えを持たせるようになった要因の一つに、著者のユージン・スレッジ氏が「はしがき」に寄せた以下の言葉があります。

 「太平洋戦線での体験が脳裏から離れる事はなく、その記憶は私の心につねに重くのしかかってきた。しかし時の癒しのおかげで、今では夜中に悪夢から目覚めて冷や汗と動機に襲われることもなくなった。つらい営みであるが、ようやく私は自分の体験を書き上げることができるようになったのだ。」

 この本の原著がアメリカで出版されたのは1981年。
 つまり、あの戦争で日本軍と最前線で戦ったスレッジ氏は、その体験記を書くまでに、40年近い長い時間をかけてその体験と向き合い、恐怖や悪夢と戦って、それを克服してからやっと、語る事が出来たのです。

 そして、この書が初めて世に出た頃から、米国内で太平洋戦線をはじめとした、WW II時代を題材とした映像作品に変化が出てきているようにも思われます。
 有名な所では、「プライベート・ライアン」、「シン・レッド・ライン」、「バンド・オブ・ブラザース」、硫黄島2部作、「The Pacific」等々、どの作品も内省的な側面が強く描かれており、それ以前の作品にあるような、マッチョな兵士が重機関銃で敵兵を薙ぎ倒してハッピーエンド・・・という頭痛誘発展開はほとんど見られません。

 これは恐らく、この位の時期を境に、米国内で戦争体験を語る人達が、「ホラ吹き」から「本当の最前線体験者」へとシフトしていった影響なのではないか、と私は思います。
 その背景には、ベトナム戦争での敗戦と、帰還兵による社会不適応が社会問題化して、それ以前の戦争体験を省みる必要性などがあったのかもしれません。
 とにかく、長い時間をかけて、あの時代の戦場体験を心の中で整理し、周囲に語りはじめた人々が多かったのも事実なのではないかと思います。
 (ちなみに、帰還兵の「戦争神経症」などによる社会適応障害は、WW II時代にもあった事が、スレッジ氏の本書の中にも書かれている。米国は勝利の栄光の陰に抱えたこの問題を、現在に至るまで解決できていない気がする)

 そして、敵国&戦勝国側であった米国で書かれた本書を読んでそんな事を考えた後に、母国&敗戦国側である日本で、あの戦いを描いた本をいくつか読んでみましたが・・・。
 非常に残念かつ痛恨事とも思えますが、太平洋戦争の最前線を描いた日本側の書物には、(ざっと立ち読みした程度ですが)この「ペリリュー・沖縄戦記」ほどフラットで公平な視点から、あの時代の戦場の姿を克明に、そしてある意味で示唆に富む内容で書かれた書物は全くないように感じられました。

 その理由として、日本側の書は「書き手が体験者ではない」場合がほとんどであるという事があるのかもしれません。
 確かに、日本側の書物の著者も、多くの体験者から直接、話を聞き、ほぼ散逸している様々な史料を収集して、非常に多大な労力をかけて一冊の本を書いていることはわかります。しかし、そこにどうしても第三者の視点からの意見が混じるためなのか、ダイレクトな「心の動き」「想い」は薄れてしまい、どこか上滑りしたような文章になってしまっている気がします。

 日本人の中に、これらの泥沼の戦線から生還できた人は数えるほどしかおらず、残った方も多くが他界されてしまっています。
 なぜ日本人には、こうした文章を書くことができなかったのか、と、本書の翻訳者が巻末の解説で述べていましたが、本当に、どうしてなのでしょうか?

 生きた体験として、同じ日本人があの戦争の最前線で何を感じて、何を考えていたのかを知ることができれば、後代の日本人達にも、あの戦いのような事は「繰り返してはならないこと」として、今まで以上に重い教訓となってくれたと思われ、それが返す返すも惜しくて仕方がありません。
 読後に、もし身近に戦線体験者がまだ健在であれば、あの戦争の最前線で置きていた事の本当の話を聞いてみたい、と、強く思わされた一冊でした。

 それにしても、あの戦争の事を語る事は、日本では一種のタブーのような風潮がどこかにある気がします。
 特に、沖縄戦線については、あまりに犠牲が大き過ぎたことと、戦後の数奇な状況もあってか、触れてはならない物のように扱われることもあります。

 また、太平洋戦争の話題になると、どうしても感情論やイデオロギー論争に発展し、本質を見落とさせる(あるいは安易な結論にミスリードされる)事が多いと思います。

 しかし、本当にそれで良いのか、疑問を持たずにはいられません。
 最前線の、想像を絶する悲惨な現実の前に、感情論やイデオロギー論など、何の意味も持たないと私は思います。
 そして、この書を読んでからは、米国の伝える太平洋戦争の姿も、日本が伝える太平洋戦争の姿も、どちらも戦後のプロパガンダやイデオロギー論争の中で「歪み」を持った物に置き換えられている気がしてなりません。

 この本は、比較的フラットな立場で、ありのままの戦場を描く事で、その「歪み」のような「何か」を気付かせてくれる気がします。
 興味のある方は、一読をお勧めしますが、凄惨な状況の描写が続きますので、そういった事が苦手な皆様には、あまり強くお勧めできない部分もあるのが、残念な所です。


 最後に著者のユージン・スレッジ氏について軽く触れます。
 著者のユージン・スレッジ氏は、アメリカ海兵隊員として太平洋戦争の戦場に出て、ペリリュー島の戦いの後、沖縄本島の攻防戦にも参加しています(その内容が本書に書かれている)。
 終戦後、1946年2月に除隊し、大学に入学したものの、社会生活にはなかなか適応できなかったようです。かつて熱中したハンティングをやめてバードウォッチングを行うようになってから、再度学問の道を志し、博士号を得て大学教授として務めたそうです。
 こうした来歴のためか、本書の文面は確かな教養の高さを感じさせる、抑制の効いた冷静な視点からの内容に感じられました(これは原文がそうなのか、翻訳の過程でそうなったのかは不明)。
 残念な事に、2001年に癌のため77歳で他界されています。

 なお、スレッジ氏は本書の中で繰り返し、「戦争は野蛮で、下劣で、恐るべき無駄である」と述べています。最前線を生き抜いた人物の言葉として、とても重いものを感じてしまいます。


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プロフィール

YO-TA

Author:YO-TA
2011年7月に東京から仙台に移住。
相変わらず、デジカメ片手に、サイクリングやハイキングを楽しんでいます。
突然、突拍子もないことをやらかしますが、それはまあ、ご愛嬌という事で…。

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