日々是遊歩。見て、聞いて、感じて、それを殴り書き。

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被災地を走る。ツール・ド・三陸 サイクルチャレンジ in 陸前高田

 しばらく、完全放置になってしまっていました(笑)。

 お盆が空けて以降、現在関わっている仕事が急激に忙しくなり、そりゃもう、日常生活にも影響が出るわ、朝練にも参加できなくなるわ、の大騒ぎになっていました。
 まあ、生存はしていましたけれどね(笑)。

 しかし、体の方は結構、正直に反応していたようで、ある日、正面の席に座る後輩が、私の眼前に突き出した用紙を見ると・・・。

 ウチの近所の皮膚科リストでした・・・。

 そういえば、その後輩も、私と同じ症状持ちだったな・・・と思い出しつつ、「酷いか?」と聞くと、「今すぐ、強いので抑えないと、もっと目立つようになると思います」という、同じ症状持ちならではの、的確な返事が返ってきました・・・。

 という訳で、生涯何度目かのアトピー緩解化治療を開始です(^^;)。
 やれやれ、今度はどれだけの期間、振り回されるかなっと!
 (いつもの事だから、もう慣れた:笑)

 では本題です。
 久々にサイクルイベントに参加してきました。

 イベントの開催地は、東日本大震災で甚大な被害を被った、岩手県陸前高田市。
 リアス式海岸の湾内に成立した都市で、以前は白砂青松の海岸線の美しさで知られていた町でしたが・・・。

 現在は白砂青松の海岸地帯は失われ、市内中心部もほぼ壊滅的な被害に見舞われ、復旧・復興までどれくらいの時間が必要か、想像もつかない状況になっています。

 そんな町の中を、自転車で、マイペースで走る。
 現在の、被災地陸前高田の姿をその目で見て、記憶に焼き付け、そしてそれを参加者が各地で伝える事で、全国の皆様に、現在の陸前高田の姿を知ってもらおうという思いも込められたイベントです。

 という所で、詳細は裏置きしますので、興味のある方は以下のRead moreをクリックして下さい。

 陸前高田市は、岩手県の南部海岸線に位置しており、現在はそこに行くまでの交通手段も限られています。
 内陸側(一関、平泉、花巻、盛岡方面)ならば、高速道路や新幹線などでアクセスできるのですが、海岸部となると、鉄道・国道なども地震と津波で寸断されているポイントが多く、三陸地域へのアクセスは、事実上、内陸側から櫛の歯上に伸びる道路を、マイカーや鉄道の代替輸送バスに乗って移動する形になっています。

 一応、オフィシャルツアーで宿所を気仙沼に確保していたのと、気仙沼までは鉄道が通っているので、気仙沼駅までは輪行。
 そこを起点に、自走で移動する事を基本に計画を立てて仙台を発ちました。

 で、本当であれば当日朝の受付にしようかと思っていたのですが・・・ちょっと奮発して、一ノ関駅まで新幹線を使ったため、到着時間が一気に早まり、ずいぶん、予定に余裕ができてしまいました。


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気仙沼駅前。
サメとカジキのオブジェが出迎えてくれた。


 気仙沼駅の到着時間は、13時過ぎ。
 気仙沼から陸前高田までは、約25km前後の距離です。
 前日受付は、午後には開始されていますから・・・いっちょ、走って行ってくるか、と、そんな気分で、直接、陸前高田へと向かいました。


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気仙沼駅前から気仙沼市役所付近は、
震災の影響らしい痕跡はない。

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が、そこから数分走ると、
こんな場所がいきなり広がる。


 気仙沼も、紛れもない被災地であり、現在も海岸付近を中心に、広い地域が凄まじい破壊の跡を残しています。


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陸上に打ち上げられた大型船。
東日本大震災の津波被害を語るとき、
象徴的な存在として良く登場していたそれが、
いまだにそのままになっていた。

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気仙沼市は、津波被害とともに、
その後の火災被害が深刻だった土地でもある。
そのためか、黒焦げになった建物も、
まだ残されていた。


 震災の被害は、仕事で福島の浜通り地域の北部などを見ている私ですが、集落単位の被害でなく、都市空間そのものに被害が及んでいる所を見る事は少なかったため、やはりこうした現場の風景は衝撃的です。
 土台しか残っていない住宅地の間を抜けて国道45号に至り、大船渡/陸前高田方面へと向かいます。


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国道45号は、三陸海岸を南北に貫く国道。
・・・だったのだが、
現在は各所で橋が流されるなどして、
通り抜けが困難な地区もあったりする。

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途中、崖崩れの現場に遭遇。
震災後に撮られたストリートビュー画像にはないので、
多分、その後の大雨などで崩れた物かな?


 気仙沼から陸前高田までは25km前後とあって、最初は軽い気持ちで走って行けるだろうとタカをくくっていましたが・・・。
 そこはリアス式海岸という、山岳地が直接、海中に没したような地形の地域です。
 次の町に至るまでに、必ず尾根筋(つまり峠)を横断しなければならず、中~強程度のアップダウンが連続するという、なかなかの拷問コースでした・・・。
 たっぷり一時間と少し、地形にいたぶられて陸前高田市に到着。


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この場所が、
かつて住宅地や店舗が多数建ち並んだ
市街地だと言われてもピンとこない。
陸前高田市は、
それほどに激しく破壊されてしまったのだ。
(中央奥に見えるのは、旧市役所の庁舎)

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'12/9/12日に伐採された、
津波被害から唯一残った、
奇跡の一本松

イベントが開催されたのは、
この姿を見られる、
最後の週末でもあった。


 文字通り、何もない土地を走り、当初設定していた曲がり角を探しますが・・・建物などが存在しない場所では、どこで曲がって良いのかの判断がうまく行きません。
 やっとの事で、海沿いに半ば廃墟と化したホテルの建物を見つけて、現在地を把握。針路を修正し、前日受付が行われている会場に入りました。

 メイン会場は津波被災をギリギリで免れた小学校で、その校庭にテントが立ち並び、選手受付が行われていたり、出店が出ていたり、ステージでは前日イベントが行われていたり、賑やかな雰囲気になっていました。


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ささやかだが復興への貢献として。
陸前高田名物、マスカットサイダー。

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ここで頂いた岩張楼(がんばろう)ラーメン。
海藻がたっぷり入っていて、
さすが海産物の宝庫、三陸という感じ。
(一日に4杯も5杯も食べた人もいるとか・・・)
翌日のゴール後も、
最終補給として頂いた。


 受付終了後、出店を流し、色々と買物をしている間に、お世話になっているショップ、ベルエキップのスタッフの皆様とお会いしたのでご挨拶を交わします。
 ベルエキップの皆様は、翌日、サイクリングリーダーとして、参加者を先導するボランティアとして参加されるとの事。
 その日の試走で、まだ舗装が剥がれたままの場所では降車して通ったりした方がよい、等の話を聞かせて頂くとともに、甚大な被害がいまだに癒えていない事を実感させられます。

 その後、宿泊施設に向かうべく、気仙沼へと再び自走で向かいます。
 相変わらずのアップダウンに、いやと言うほど苦しめられました・・・。


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気仙沼に帰る途中に見つけた物。
崖下に見える島の脇に何かあるなあ、と思ったら、
それは漁港などに設置されていた、
燃料貯蔵タンクか何かだった。


 気仙沼~陸前高田間にも、何カ所か、海に面した地域があり、そんな場所では建物基礎だけが並ぶ場所や、仮設の建物で営業中のコンビニなどがあり、津波被害が実に広い範囲に及んでいる事を実感させられました。


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気仙沼市内にあった、コンビニの仮設店舗。
現在は早朝から夜間までの営業のようだ。

24H営業でなくとも、
ここにコンビニがある事で、
どれほどの皆様が助かっているか、
計り知れない。


 そんな震災の爪痕を見ながら宿に入りましたが・・・この時宿泊したホテルが、港の岸壁まで歩いて5分以内という、非常に海に近接した場所にある、「一景閣」さん。
 当初予定されていた宿がどうやら満室だったようで、急遽変更指定された場所でしたが、本当にこんな所で営業してるのか、と思うほど、被害が甚大な地域の真ん中でした。


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一景閣さんの窓から見た、
気仙沼市海岸地域の状況。

現在もこんな感じで、
復旧・復興はまだまだ進んでいない。


 一景閣さんは、風呂の使用などに色々と制限はありましたが、その他の面では、これほどの被害を受けた地域では考えられないほど、快適に過ごさせて頂きました。
 また、相部屋になった皆様との間で、自転車談義に花が咲くのは、泊まりがけのイベントならではの雰囲気があり、とにかく楽しい一夜でした。

 翌朝は早い、という事で、相部屋になった参加者一同、22時頃には揃って就寝。
 翌朝は5時に起床し、皆様、それぞれの手段で会場入りするという事だったので、私もそれに合わせて行動する事としました。

 ちなみに、同室メンバーの中で、気仙沼からの自走は私一人だけでした(^^;)。
 あれぇ・・・?もっと居るかと思ってたけど・・・?

 という訳で、当日朝、6時頃に宿を出て、昨日通った道を陸前高田へ向かいます。


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途中、気仙沼の港で。
港の岸壁と水面の高さがほぼ同じ!
これ、台風の高潮が来たら、
冠水しないのだろうか?

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陸前高田の会場で、
オフィシャルツアー参加者に提供されていた朝食。
私もツアーで宿所を押さえたので、
チケットと引き換えで頂いた。


 朝一番に走るには、かなり強烈なアップダウンの道でしたが、ゼエハア言いつつ、何とか会場到着。
 ウォーミングアップだけで疲労困憊した気分です。

 途中、ルーフキャリアやリアハッチ内に自転車を積み込んだ車が走っていましたが、多分、参加者の物でしょう。
 ま、2台ほど、なぜか正面からこちらに向かって走ってくるという、方向を間違えた方もいらっしゃったようですが・・・。
 (うち一台は、すれ違う瞬間に運転席の窓が開いて、方向を訪ねてきた。もう一台は、すれ違った後、どこかで方向転換したらしく、そのまま追い越して行った)


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まあとにかく会場到着。
後はスタートを待つだけ。


 午前7:30頃に、ステージで開会セレモニーが開かれ、陸前高田市長をはじめとする皆様の挨拶などが終わった後、なぜか全国から集まったというゆるキャラ達の紹介があったりして、イベントムードを盛り上げてくれます。

 そして、午前8時になってから、私のエントリーする健脚Aカテゴリーが、15秒おきに5人ずつスタート。
 400人を越えるサイクリスト達の、被災地を走る旅が始まります。

 このイベントはレースではなく、あくまでもマイペースで走るサイクリングである、と言われていた通り、5人一組のグループに、サイクリングリーダーというガイドのような実走ボランティアスタッフが同行する形で走行します。
 コースは、かつて行われていたロードレースのコースを、逆に回るようなコース取りになっている、と、走行中にグループメンバーだった方で、レース出場経験のあるという方に教えて頂けました。

 そうこうしているうちに、私の属するグループもスタートの順番になり、サイクリングリーダーとボランティアスタッフのスターターの合図とともに、バルーンゲートを潜って、コースへと走り出しました。


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被災地ど真ん中の道を行く。
周囲は、かつては住宅地であったり、
商店街であったりした場所だ。

 
 最初はかつての市街地の、平坦な場所を走ります・・・が、平坦な場所は必然的に低地でもあり、津波による被害が著しい場所でもあります。
 周囲に広がる、ただの空地にしか見えないそこは、ほんの2年前までは、当たり前の生活の風景があった場所です。
 所々に、かつての消防署や博物館など、鉄筋コンクリートの建物が、無惨な姿を残しています。


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そして、コースの所々には、
津波でアスファルトが剥ぎ取られ、
いまだ砂利敷で仮復旧されただけの場所も多くある。

こういう場所に差し掛かったら、
パンク&落車防止のために降りて押したのだが、
自転車用シューズでは歩き辛い。
私はSPDのツーリングシューズでまだ助かったが、
カーボンソールのシューズの方は、
足が痛くなって、酷い思いをしたそうだ。


 津波が破壊したのは建物だけではなく、道路の表層の舗装を剥ぎ取り、上下水道の地下管渠を詰まらせ、農地や水路を泥で埋めるなど、様々なインフラに様々な形で被害を及ぼしています。
 私が仕事で良く行く、福島の浜通り北部は、中心市街地は無事で、海岸部の集落などがそういった状況になっている場合が多いのですが、三陸の海岸部では、町全体がそこまで甚大な多重被害に襲われている場合がほとんどで、それが復旧・復興を困難な物にしている場合も少なくないそうです。

 まさしく、都市そのものが地図上から消し去られたに等しい、そんな被害状況を実感させられました。
 そして、それは多分、三陸地方の各都市で、全く同じ状況になっているであろう事は、容易に想像されます。

 泥に埋め尽くされた、かつての農地を見ながら、コースは半島部へと進んで行きます。


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この日はコースの途中、至る所で、
地元の皆様が声援を送って下さっていた。

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このお婆さん達は、
参加者達とハイタッチを交わしていた。
とにかく、様々な皆様が、
様々な形で応援して下さったのが、
本当にありがたかった。


 このイベントでとにかく印象的だったのが、地元の皆様が、沿道の至る所で応援して下さる姿があった事です。
 坂道の途中や、住宅の玄関口、そして、仮設住宅用地の入口でさえも、多くの皆様が笑顔で、大きく手を振ったり、拍手で迎えてくれたり、と、本当に様々な形で応援して下さいました。
 暖かい声援が、道行く私達に大きな力を与えてくれました。

 半島部に入ると、道はアップダウンが多くなり、参加者の中には苦しそうな姿を見せる人も多くなります。
 いくつかのアップダウンを越えると、大きく風景が開け、海沿いの道を走る事も多くなりました。


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きれいで穏やかな海。
思わず飛び込んで泳いでしまいたくなる・・・が。

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現在は遊泳禁止。
まだ海中の瓦礫掃除が終わっていないらしい。

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その後通った海沿いの道で。
海岸の防潮堤が破られた場所では、
まだ水が引き切っていなかったり、
新たな水の道が出来てしまっていたりもした。


 何度かアップダウンを繰り返すと、道路の左に、沢山のサイクリストが集まった広場を発見。
 そこが今回の健脚コースのエイドステーションになっているようでした。


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エイドステーションの風景。

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ここで配られていた、
地元名産品のおやき。
ふんわり柔らかな生地の中に、
海藻やホタテが入っており、
これがとにかく美味い!


 地元のおいしい物に舌鼓を打ち、後半のアップダウンに備えてエネルギーを補給します。
 15分ほど休憩後、リーダーの計らいで海が見られる地点まで一旦下って景色を堪能した後、正規コースに復帰。
 半島部のきついアップダウンの道が始まります。


12091525.jpg
その半島部の道を走っていると、
地元の皆様が大漁旗を飾り、
参加者を応援して下さっていた。

これは凄かった!
とにかく嬉しい!

ちなみに昔、
ロードレースが行われていた時にも、
同じように大漁旗で応援して下さったらしい。

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その一方で、
破壊の爪痕が残る地域も通る。
防潮堤が破壊され、
無惨な姿を残している場所も多かった。


 やがて、半島南側のアップダウン地帯に入り、隣町に行くには、必ず尾根を越える必要があるという、リアス式海岸特有の道に変化して行きます。
 最大勾配になるという、8%の坂では、さすがにしんどくなって、グループメンバーの皆様から置いて行かれそうになりましたが、何とか最後まで食らいついて行けました。
 坂嫌いは相変わらずです(^^;)。ううむ、ベルエキップ朝練で、そこそこ頑張っていると思っていたんだけどなあ・・・。


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コースの途中、
新たに設置された海苔の養殖筏が見られた。
被害は甚大だったが、
苦難を抱えつつも、
着実に復興へと歩み続ける人々がいる。

12091528.jpg
その一方で、
震災瓦礫の山も、いまだにそこにある。
まだまだ問題山積、
復興まで、道はまだまだ遠い事が実感される。


 やがて市街地へと帰ってきて、37kmのコースは、午前中に終わってしまいましたが、被災地の風景に、アップダウンの連続と、そして何より地元の皆様の暖かい声援を受けて、満足度が物凄く高い3時間でした。
 ゲートを潜り、サイクリングリーダーやチームの皆様と軽く雑談後、どこかのイベントでの再会を約して別れました。

 その後、私は夕方までに仙台に戻らなければならなかったため、屋台でドリンクを入手し、「岩張楼ラーメン」をかき込むように食べると、もっと色々な物をゆっくり見たい名残惜しさを胸に、気仙沼へと出発しました。

 会場を発った時間は11時頃。
 気仙沼発、12:19の電車に乗れなければ、次の電車は14時過ぎになり、用事に間に合わなくなります。
 輪行準備等を考えたら・・・かなりギリギリの時間になりそうです。

 もうそこからは、マイペースだとか何だとかは考えられず、ひとりTTの気分でクランクを回します。


12091529.jpg
気仙沼までの道は、
こんな強烈なアップダウンもある。

画像の左下の道からここまで、
6%勾配の道を登り上げ、
正面の自動車専用道区間を潜って、
さらに右の方で一般国道のバイパスに合流。

車なら、専用道区間のトンネルと橋梁を抜けて
ショートカットできるが、
自転車では息が切れまくる。


 アップダウンの激しい道を進み、自動車専用道区間を突破したくなる誘惑を振り払い、気仙沼市街地に入ると・・・。

 ここで、まさかの向かい風!
 建物などの風よけがなくなってしまった場所で、まともに正面から風を受け、平坦な道のはずなのに、速度が出せない・・・。

 これは結構、精神的に響きましたね(^^;)。
 這々の体で気仙沼駅に到着したのが、12:10。
 もう本当にギリギリだったので、前後輪を外し、とにかく輪行袋に突っ込むと、切符を買って電車に飛び乗り、何とか一息。
 で、電車の中で、改めてきちんと収まるように組み直すという・・・(^^;)。

 最後はドタバタになりましたが、イベントの雰囲気、ホスピタリティその他諸々を考えたら、このツール・ド・三陸は、かなり素晴らしいイベントだったと思います。
 単に走るだけでも十分、楽しめたであろうコース設定に、サイクリングリーダーのコースガイド、地元の皆様の暖かい声援に、出店の屋台等々。

 これが復興支援の大きな力となるか、と言われると、それは恐らく、難しいでしょう。
 しかし、今回のイベントに参加した皆様が、それぞれの目線で見た被災地の姿を伝える事で、最近は忘れられそうになりつつある被災地の現実を、外の皆様にも知らせる事はできるでしょう。

 来年以降、継続して行われるのかどうか・・・それはわかりませんが、もし行われるのだとしたら、来年以降、徐々に復興して行く町の姿を見る事ができれば、と、そんな風に思えるイベントでした。



 さて、次回、私が自転車イベント的な物に顔を出すのは、BRM1006宮城200kmの予定。
 ずいぶん久々の、ブルベです。

 コースは、昨年秋に平泉から帰ってきた時に走った、国道457号などを主体とするコース。
 さあ、楽しみましょうか!

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プロフィール

YO-TA

Author:YO-TA
2011年7月に東京から仙台に移住。
相変わらず、デジカメ片手に、サイクリングやハイキングを楽しんでいます。
突然、突拍子もないことをやらかしますが、それはまあ、ご愛嬌という事で…。

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