日々是遊歩。見て、聞いて、感じて、それを殴り書き。

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そして完結、『ローマ人の物語』

 月曜日、会社で鳴子峡まで自転車で行ってきた事と、その途中、下り坂で落車した事を報告してみると・・・。

 落車部分、あっさりスルーされました(^^;)。

 おいおい、そりゃ、体はピンピンしてるけどさ。
 もうちょっと、心配してくれても良いんでないの?

 ちなみに、車体は近々持ち込み点検に出し、ヘルメットは寿命も近いので、新調の予定です。

 では本題です。
 長きに渡って読み続けてきた、『ローマ人の物語』(文庫版)ですが。
 本年9月に刊行された、「ローマ世界の終焉」編で、ついに完結となりました。

 この「物語」との付き合いは、ブログをFC2に引っ越して以来ずっと、という形になります。

 ブログをFC2に引っ越してきたのが、2008年の2月14日。
 「ローマ人の物語」関連ネタ(感想)の初出が2008年の2月19日。

 文字通り、最初の最初から続いてきたネタだったりしますね・・・。
 「最後の努力」編くらいからは、読書ペースが刊行ペースを上回ってしまい、次を読むのに1年待ったりしていますが・・・。

 ちなみに、過去のネタは、ずいぶん古い話ばかりですが、この辺りこの辺りこの辺り、そしてこの辺りに置いてあったりします。

 紀元前750年頃から続いてきた、ローマの歴史を追う物語も、これが最後。

 イタリア半島に都市国家として興り、それが全てのはじまりだったローマ。
 王制の国となり、内乱の歴史を経て、同族間で争う醜さの反省から、市民の代表が治める共和制に移行。
 その後、広大になった版図で多元的に発生する問題を、一元的かつ即座に処理するために、強力な権力を持った「インペラトール(エンペラーの語源ですね)」を戴く帝政へと移行し、「パクス・ロマーナ」と言われる黄金時代を築いてきた、巨大な帝国。

 しかし、徐々に国家は疲弊しはじめ、ゲルマン民族の大移動がはじまると、国境の防衛線は崩壊し、国土は荒れはじめる。
 困難な生活に直面した人々は、現実の逃避のためか、宗教、つまりキリスト教の教えの殻に閉じこもろうとしはじめた。
 「ローマ」という国を「ローマ」として存続させていた、数々のコミュニティが崩壊する中で、ついにキリスト教が国教化され、そしてテオドシウス帝亡き後は、その二人の息子が、版図の東西のぞれぞれを治めるようになった時代・・・。

 最終巻は、そこからはじまります。

 という、ここまでの「あらすじ」を纏めた所で、実際の感想は長くなったので裏置きです。
 興味のある方は、以下のRead moreをクリックして下さい。

 最終巻は、ローマの滅亡が描かれ、テオドシウス帝が崩御した後の、東西分割統治時代から始まります。
 なお、帝政末期には、広大過ぎる版図を一人の皇帝が治めるには無理が生じる事態が多くなっていたため、複数の皇帝による分割統治が当たり前になっており、テオドシウスが二人の子供に帝位を譲り、分割統治を図った事自体は、不自然な事ではありませんでした。

 問題は、両皇帝の側近をはじめとした多くの人々が、東西を一体のローマとして考える頭がなかった事で・・・。
 今までも、複数の皇帝による分割統治は普通でしたが、「ローマ」はローマとして一つであったのに対し、テオドシウスの二人の息子、アルカディウス(東)とホノリウス(西)は、「相手の事なんて知らん」と言わんばかりにそっぽを向き合ったため、東西の分割は決定的なものとなってしまいます。

 そしてこの時代、東西ともに、ローマは蛮族の侵攻の脅威にさらされる事になります。

 西ローマはそれを撃退しようにも、軍人皇帝時代から続く蛮族の侵攻により、国内、特にガリア地域(現在のドイツ、フランス辺り)の荒廃が進んでいたことから生産性が極端に低下しており、国の経済力が危機的なレベルに落ち込んでいました。
 それに加え、荒廃した国土からは国民の離散が相次いでおり、防衛のための兵力を集める事さえ出来ない状況になっていたのでした。
 それ故に、ローマ軍の主力は、これまでの「市民による防衛軍」ではなく、ある種の契約関係により招集された蛮族兵士により構成される事になり、防衛力の構成員そのものが、今までとは異なるものになって行きます。

 つまりそれは、今まで、何だかんだ色々あっても、「皇帝」「元老院」「市民」がそれぞれの役割を果たしていたローマ社会の形が、全く異なるものに変わってしまった事の現れでもありました。

 その後、蛮族の襲撃により首都ローマが劫略の憂き目に遭うなど、様々な紆余曲折を経て、西ゴート族の族長、オドアケルにより西ローマ最後の皇帝、ロムルス・アウグストゥス(最後の皇帝が、建国者と初代皇帝の名を持つとは皮肉)が退位させられ、西ローマ帝国は滅びます。
 しかし、西ローマ帝国が滅亡した経緯に関しては、多くの人がイメージとして持っているであろう「国の滅亡」とは、かなり異なる様相を見せています。

 多くの場合、国の滅亡は、支配者層(王族であったり、貴族であったり)が外敵により討ち取られたり、退位を迫られたりして、新たな支配層が興り、政体が違う物に入れ替わってしまう事と考えていると思います。
 しかし、西ローマの滅亡は、ロムルス・アウグストゥスの次には、単に「誰も皇帝にならなかった」だけだったという・・・。

 西ローマを滅ぼした西ゴート族の族長、オドアケルは、皇帝に退位を迫った後、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)に「イタリア地方の皇帝代官」に就けて欲しい、という旨の使者を送ったらしく、形の上では、まだ「ローマの支配下に入る」ことを表明していたらしいのです。
 しかし、この要請をビザンチン帝国が無視したため、結果的に「王」を名乗ったことにより、なし崩し的に「イタリア王」が誕生し、西ローマは消滅した形になったようです。

 ただし、「王」といっても、それはローマ世界でいう属州代官のような存在であり、その社会はいまだ、ローマ社会的な色を濃く残しているという、不思議なものでした。
 支配者は入れ替わった。
 しかし、社会情勢はもとのまま受け継がれており、市民の安全保障を引き受けるのが、ローマ皇帝から蛮族の王に変わった、という、それだけの話でした。
 滅亡の形としては、かなり不思議な状態です。

 そして、世界史の授業などでは、476年に西ローマ帝国が滅亡し、1,453年の東ローマ帝国の滅亡をもって、ローマ帝国の最後とされます。
 しかし、この物語の中では少し解釈が異なり、西ローマが滅亡した後に、東ローマ帝国によるイタリア奪還が行われた段階を持って、完結する形がとられています。

 西ローマ帝国が滅亡し、蛮族の王が治める土地となった後に、東ローマ帝国がイタリアを奪還した理由はただ一つ。
 カトリック教国であった東ローマ帝国から見て、アリウス派のキリスト教を奉じる蛮族の王達は、同じキリスト教でも異端の存在。つまり、イタリアから異端者を追い出すという、その一事だけが重要だったように見えます。

 ちなみにこの時代、東ローマ帝国の方は、というと、帝政初期~五賢帝時代なら「市民の代表」であったはずの皇帝が、いつの間にか「この世の支配者」的な存在となり、私腹は肥やすわ宮殿は豪奢になるわ、と、ペルシアなどの専制君主的な存在になっており、いわゆる「ローマ社会」の中にあった「皇帝」とは全く異なる存在になっていたようです。
 西ローマ帝国は、ローマ的な社会を色濃く残していたため滅亡し、東ローマ帝国は全く異なる社会形態に転換する事で延命された、と見る事も出来ます。

 そんな、今までの「ローマ」とは異なる「ローマ帝国」によるイタリア奪還戦争により、ローマは完全に荒廃し、人口は激減、そして再興をリードできる指導者層も消滅していました。
 昔日には、「世界の首都」として、百万の人口を誇った都市「ローマ」は、同じローマの名を継いでいたはずの東ローマ帝国にとどめを刺されたのでした。

 そして、この「ローマ人の物語」は、ここで終わりになります。

 その理由は、このイタリア奪還戦争において、「ローマ」という、街道や水道、法整備などのインフラを内包する「社会」を作ってきた、「ローマ人」が姿を消してしまったこと。
 そして、長らくローマの内海として存在してきた地中海が、「ローマという広大な大地の中の海」ではなく、キリスト教国圏とイスラム教国圏を隔てる境界の海になったという、地勢的な意味が全く異なる形になった、という事が理由とされています。

 実際、ここからはじまる中世という時代は、群雄割拠による戦乱の時代。
 「パクス・ロマーナ」の時代には、グレートブリテン島からアンティオキアまで、体一つで街道を歩いて安全に旅する事が出来た「一つに繋がった世界」は、いくつもの民族と国家が対立して相争い、国境という境界線が隔てる世界へと変容してしまったのでした。

 その後、東ローマ帝国は1,453年、オスマン・トルコの攻撃によってコンスタンティノープルが陥落し、滅亡。
 「ローマ」の名を継ぐものが完全に消滅したのは、ロムルスの建国した都市国家「ローマ」の誕生から、2,200年後の事でした。


 と、いうわけで、長い長い物語を読み終えました。
 あまりに長過ぎて、最初の方の話は、トピック単位でしか覚えていない事も多いのですが、とにかく、一つの国が興って、そして栄えて、滅びる、という一連のプロセスが完結したわけです。

 ローマの滅亡を思う時、いくつか気になる事があります。
 特に、西ローマの滅亡。これは、いわゆる一国の滅亡としては、かなり不思議な形であった事は、先に記した通りです。
 しかし、西ローマは、世界史で教えられる時代よりずっと昔に、完全に滅んでいたように、私には感じられます。

 長きに渡る戦乱による国土の荒廃と、国民の離散に伴う生産力の低下と人材の空洞化。
 帝位を「市民の代表」から「神が与えた」という神授説的な位置に据えた事による、市民と政治の間に生まれた精神的な隔離。
 こうした、様々な社会情勢の変化が、「公共の利益と個々の市民の利益が必ずしも一致しない」という、昔のローマ帝国ではありえない状況を生み出した結果、誰もが「私利」を優先し、「国」や「公共」に対して責任を取らなくなったこと。
 これが、西ローマ帝国の滅亡、そして、「ローマ」が完全に滅んだ、本当の形だったように私には思えます。

 翻って、現代の日本を見ると、どうでしょうか?
 今、多くの人は、政治に興味も持たずに希望も持たない状態にあるように思われます。
 政治のニュースにおいても、首相は漢字が読めないとか、閣僚がこんな発言をするのはけしからんとか、そういうレベルの話に終始しており、せっかく与えられている参政権ですら放棄している人が過半数になるという状況。
 かといって、個々の権利の主張だけは一人前で、我も我もと声を大きく上げれば勝ち、というモンスター的な風潮が目立ってきていないでしょうか・・・。

 そしてそれは、西ローマ帝国の末期にあった、「市民と政治の間に生まれた精神的な隔離」、そして「公共の利益と個々の市民の利益が必ずしも一致しない」という状況に似てはいないだろうか、という気がしてきます。
 そこに、団塊の世代の定年退職ラッシュに伴う人材の空洞化、つまり、「国土の荒廃と、国民の離散に伴う生産力の低下と人材の空洞化」に近い状況も迫りつつあるわけです。

 ローマはこの後、外から力を移入する、つまり蛮族達を傭兵や労働力として取り込んだ結果、逆に民族間の対立の構図を国内に呼び込んでしまい、国土を内側から引き裂かれ、国力の弱体化に歯止めがかからなくなりました。
 今、日本が向かっている未来は、どうなのでしょうか・・・?

 しかし、今の日本人は、東日本大震災という未曾有の大災害を経験し、「この国に住むこと」がどういう事であるか、改めて考えた人も多かったと思います。
 そして、現代の日本は、帝政末期のローマのように、指導者は神が選んだ絶対者ではなく、少なくとも自分達の投票により選ぶ権利を有しています。
 市民が参政権を失っていた、ローマが滅亡した時代とは、全く違う状況です。
 まだまだ、捨てたものではない、と、そう思いたいものです。
 (とりあえず、私はそろそろ仙台で選挙人名簿に登録されるので、次回からは選挙に参加しますよ!)

 まあ、しかし、この時代の国の衰亡に、現在の日本を重ねあわせる事に、どれだけの意味があるのかは分かりません。
 歴史は繰り返す、と言いますが、繰り返さない歴史もまたあるわけですからね。

 しかし、これほどまでに長く存続し、現代に至るまで影響を与え続けている帝国でさえ、最後は滅びた。
 それは、歴史の中で、そして現在を生きる私達にも、ひとつの教訓として刻まれるべきものであるように思われます。

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コメント
無事でよかった。絶対信号遵守とか立体交差などの自転車走行禁止部分への進入自転車批判とかいつもなさっているので、今回もきっと対向車がとんでもない走行ラインを走っていたのでしょうね。まさか自転車乗りが世間から顰蹙を買うような乗り方をなさっているはずはないので、もっと車の運転者を批判したほうがいいと思います。
2011/11/03(木) 12:47 | URL | GUEST #-[ コメントの編集]
落車の話ですか?
ええと、全然違う話題の中に入っているコメントだったので、何かと思いましたが・・・。

さて、対向車のライン取りについては、状況説明にも書いた通り、狭い道路でのカーブでしたので、完全に道を塞いでいるような場合でもない限り、とんでもないラインとは判断できないですね。
それに、今回の件は、こちらが咄嗟の判断を誤った(前もってもっと減速しておくか、ハードブレーキングでなく、当て効きでコントロールすべき所だった)事も原因に上げられます。
相手に明らかに非がありながら、それを認めない場合ならともかく、今回のケースでは相手を非難するレベルにはないと私は判断しています。

まあ、事故の多くは、双方に過失があって生じるもの。
次も無傷で済むとは思えませんから、もっと適切に危機予測が出来るように、お互いに注意して行きたいですね。
2011/11/03(木) 19:56 | URL | YO-TA #-[ コメントの編集]
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Author:YO-TA
2011年7月に東京から仙台に移住。
相変わらず、デジカメ片手に、サイクリングやハイキングを楽しんでいます。
突然、突拍子もないことをやらかしますが、それはまあ、ご愛嬌という事で…。

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