日々是遊歩。見て、聞いて、感じて、それを殴り書き。

07月≪ 2017年08月 ≫09月

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31

夏休み。兵どもの夢のあと、平泉を自転車で走る。

 あっつう・・・。

 東北も残暑厳しく、今日の気温は30度以上になっていました。
 そんな日に、岩手県南部から130kmの道のりを自走して帰って来た私・・・。

 色々あったのは、ご想像の通りです(^^;)。

 では本題です。
 遅い夏休みを取り(というか、上司命令…。仕事内容がハードゆえに、休む時は休め、と言われた ^^;)、まとめて何日か行動できる事になったので、泊まりがけで出かけてくる事しました。

 行き先は、今年、悲願の世界遺産登録を成し遂げた、岩手県平泉町。
 仙台からは、国道4号沿いに北上すれば、100km足らずで到着できる場所であり、ロード乗りには案外手頃な観光地だったりします。

 松島が仙台から20km、平泉まで100km足らず・・・。
 仙台って、実は自転車に向いている地域なんでは?と思ってしまうくらい、地理条件が良過ぎです。
 震災被害がなければ、石巻も50km程度ですし、頑張れば花巻までも一日で走れる距離だったりします(南の方は、まだリサーチ不足 ^^;)。

 そんな訳で、平泉に行って来た記録は、例によって長くなったので裏置きします。
 興味のある方は、Read moreをクリックして下さい。

 さて、先に結論めいた事を書いてしまうと、平泉の世界遺産地域は、自転車で回るのにちょうど良いサイズでした。
 それも、ロードではなく、レンタルサイクルのママチャリかミニベロの方が、より、適した手段ではないかと・・・。

 今回、私は宿所と平泉が結構離れていたので、その間の移動も含めて自転車で走る事を考え、ロードにしましたが、平泉をロードのスピードで走ると、スピードを持て余す、というか、ちょっとした入口の看板などに気付かず、通り過ぎてしまう事も多いでしょう。
 とにかく、一関や水沢などの周辺都市に宿泊し、そこからの移動も自転車にする、というならともかく、平泉だけを回るのであれば、ロードほどの走行性能は必要ないと思います。

 という訳で、私の場合、本当は自走で平泉・・・を通り越して、宿が取れた奥州市の水沢まで行くつもりでした。
 が・・・出発を予定していた日曜日、自宅周辺は朝は雨に濡れていました・・・。

 これでロードで走り出すのは、泥団子になるのと同義。
 かといって、いまさら宿(2泊予定)をキャンセルするのも何なので、翌日以降、天気が回復する事を祈り、輪行で行く事にして、最寄り駅でロードを梱包。
 随分、好奇の目で見られてしまいました・・・。

 それはさておき、仙台駅から東北本線に乗り換え、一ノ関乗り換えで水沢へ。
 一ノ関での乗り換え時間は5分。
 東北本線は、一本乗り遅れると、場所によっては平気で1時間待ちになるので、乗り換えは結構、シビアです。
 特に、自転車なんてデカい荷物を担いでいた日には・・・。

 跨線橋を渡って、隣のホームの電車に乗ると、既に電車は満席状態。
 随分人が多いな、と思っていたら、ほとんどの乗客は平泉でドカドカと降りていってしまいました・・・。
 皆さん、世界遺産目当てですか?(^^;)
 道理で、一関と平泉では、宿が全く取れなかった訳だ。
 いや、金額に糸目をつけないのであれば、何とかなりますが・・・(私には、2泊で10万になる老舗旅館とか、無理だから ^^;)。

 とりあえず、水沢のビジネスホテルには、ロードを担いだまま入館。
 経験的に、輪行袋で包んであれば、フロントで持込みを無下に断られる事はありません。
 多分、何か大きな荷物だと思われているのでしょう(まあ、一応、聞かれたら答えるようにはしていますが、それでも断られた事はないですね・・・)。

 水沢の町は、駅前に居酒屋はたくさんあるものの、純粋に食事だけという店が少なかったのが残念で・・・。
 仕方なく、地元チェーン店の居酒屋に入って、いくつか料理を頼んだら・・・こういう居酒屋の料理は、3~4人でつつく前提の量だというのを忘れていて・・・。
 かなり食い過ぎた上に、普通の一次会程度の金が飛んでいったのは痛かった・・・。

 その日はそのまま就寝。
 翌朝、外を見ると、空は曇っているものの、道路はドライで、ロードで走る事に何の問題もありません。
 そんな訳で、水沢から平泉まで、国道4号を南下し、世界遺産指定地域へと向かいました。


11091338.jpg
まあ、道路は国道規格なら、
全国一律同一形状だ。
走り易さは、環境でかなり変わるけど。


 水沢から平泉までは、途中に一カ所、走り慣れていない人にはキツめのアップダウンがあるものの、案外素直に走れる道でした。
 水沢駅前の宿を出て、所要時間30分ほどで、中尊寺の前に到着しました。
 で、前もって調べてあった情報(地元のレンタサイクルが提供していたWeb情報)では、駐車場脇から自転車で登って行ける、との事だったのですが、目の前で「駐輪場はこちら」と砂利敷の空地に案内されてしまいました・・・(登れないのか・・・)。


11091301.jpg
そんな訳で、中尊寺参道入口。


 ここには昨年夏、家族旅行で来ており、その時には歩いて登っています。
 その時の感覚から、自転車用のシューズで、クリートカツカツ鳴らして登れるような場所ではない事は、よぉ~くわかっています。


11091302.jpg
なので、今回は中尊寺には登らず、
昨年撮影の金色堂でお茶を濁す。
(2010年8月撮影)


 ちなみに、実際の金色堂は、画像に移っている外覆いの建家の中です(内部は撮影禁止だった)。
 本当に金色のお堂が見たい方は、実際に訪れるしかありませんので、あしからず・・・。

 というわけで、中尊寺は麓だけ見てパスする事にして、ここでは駐車場にあるトイレ休憩のみを取りました。


11091303.jpg
どうでも良いけど、
殿方マークが武士ってのがね。

11091304.jpg
ちなみに、姫君はこっち。

11091305.jpg
岩手出身の同僚に聞いた、
平泉で、予備知識なく食べると戸惑うものの筆頭。
それが 「わんこそば」


 平泉の「わんこそば」は作法が違い、一口ずつそばの入った小鉢が、決まった数だけ大膳にのせて出てくるだけなのだとか・・・。
 一般にイメージされる、横からポンポン投げ入れてきて、蓋閉めのタイミングの駆け引きを楽しむ、あの形の「わんこそば」は、盛岡や花巻まで行かないと体験できないらしいです。
 (良い、悪いでなく、そういう「作法」の物だ、と知っておかないと、「なんか違う」という感想になるよ、という事なので、あしからず)

 それ以前に、上の画像の人形が持っているのは「ざるそば」だよな・・・(わんこじゃねえ!)。

 ま、馬鹿はそこまでにして、先に進みましょう。


11091306.jpg
中尊寺参道脇の道路で。

色んな地方で、
色んな動物の横断注意の看板を見て来たが、
リスってのは初めてだ。

って、お前、シマリスだろ!
北海道にしかいないだろ!

11091309.jpg
武蔵坊弁慶の墓。
その割に新し過ぎないか?
(墓石のみ後に作ったとしても、石組が新し過ぎる)

それ以前に、
吾妻鏡の記録には名前しか出ておらず、
一人だけ格別な扱いを受ける人物でもないはず。
(架空の人物説は、近年崩れたらしいから・・・)


 ・・・いや、余計なツッコミはここまでにします(^^;)。
 (話が前に進まん!:笑)


11091307.jpg
観光案内所で、こんな地図をもらった。
今回の探索のベースマップとして使った。


 世界遺産指定を受けてから、観光客が非常に増えているようで、ウォーキング、サイクリングで地域を散策して回る人のためのガイドマップは、何種類か用意されているようです。
 私は今回、中尊寺の参道入口脇に案内所でこの地図をもらい、周辺の散策を行いました。


11091308b.jpg
訪ねた場所を案内図の画像で示す。
クリック表示の大判で詳細説明。

拡大図中、番号順に見て回った。
なお、それぞれの場所は、
各遺跡等名称前の番号の位置が、
ほぼ相当。


 以下は訪問順に話を進めて行きます。

1.高館義経堂
 一番近かった事もあり、中尊寺を出て最初に訪れた場所です。
 北上川の流れを見下ろす位置にあり、源義経の終焉の地といわれているそうです。


11091310.jpg
お堂自体は小さく、
中には由来不明(らしい)の
義経木像が祀られている。

11091311.jpg
お堂前から北東側を見たところ。
なかなか雄大な眺めだった。


 ところで、ここが本当に義経の最後の地か、と考えると、随分不自然な場所だと思います。
 まず、周囲から見て独立峰のような小山の山頂で、周囲を包囲されたら逃げ場がないこと。
 鎌倉から追われる身だった義経が、そんな袋小路のような場所に身を隠すかどうか・・・(どう考えても、セキュリティ意識が甘いとしか)。

 奥州藤原氏の庇護を受けたとはいえ、鎌倉の圧力にいつ屈するかもわからぬ相手の前で、こんな場所に隠れたのでは、いつでも寝首をかける状態に自ら飛び込むような物であり、いくら何でも、ここが最期の地ってのは、ない話だと思います。

 義経の隠れ家がどこかの山中と考えたら、金鶏山の方が、余程しっくり来る立地ですが・・・。
 (裾野広く包囲し辛い、平泉全体を見下ろせるから不審な動きもすぐわかる、逃げ道がとり易い、etc.)

2.無量光院跡
 実際の建物は既に失われた場所で、現在は礎石等が残っているのみの場所です。


11091312.jpg
復元図と説明が近くにあった。


 この形を見て、あれ?と思った皆様も多いと思います(私も思った)。
 これ、京都の宇治平等院鳳凰堂そっくりです。
 実際、平等院の鳳凰堂を模して作ったと言われているそうです。


11091313.jpg
現在は、いくつかの礎石が残るのみ。
これは向かって右の翼堂から本殿に伸びる、
廊下部分の礎石。
(画像奥が本殿)


 現在は礎石と、お堂があった島、そして周囲の池の形の概略が水田となって残っている程度のようで、全体の形は想像するしかありません。
 一応、礎石の配列から、本殿と翼堂を繋ぐ廊下は平等院のそれより長く、本道前に素焼きのタイル等が敷き詰められていた等の事がわかっているようです。

 なお、現在は遺跡周辺の整備のため、再度発掘調査が行われており、遺跡の一部は立ち入り禁止でした(残念)。

3.柳之御所遺跡
 無量光院を出発し、道を進んで車体をスピードにのせようとした瞬間、「柳之御所入口」という看板が左に出て、慌ててUターンして戻って来たという、間抜けな経緯を経て到着した場所です(^^;)。
 遺跡~遺跡の距離が近いので、ロードで景気よくぶっ飛ばしていると、あっという間に曲がりどころを通過してしまいます(^^;)(^^;)(^^;)。


11091314.jpg
最初に資料館に入った。
(入館料無料だった)


 資料館の中には、柳之御所遺跡の発掘時に確認された遺物や出土物が展示されていました。
 建材や陶器、鉄器類等を見ると、案外、現在でも使っている物が、そのままの形で出ているのが、どんな遺跡を見ても不思議に思わされます。
 まあ、それら道具は、必要性があって形が決められているので、現在に伝わる物の多くがそのままの形状を引き継いでいる、と言われればそれまでですけど。

 それはそうと、絵付きの「かわらけ」に、落書きのような人の似顔絵が描いてあったりするのを見ると、この時代から、人がやる事はあまり変わってないんだな、と妙に納得させられたりしました。


11091315.jpg
その後、史跡公園を散策。

画像奥の山は、高館義経堂がある山。
目立つ上に小さくて、
すぐに包囲できる地形なのがおわかりいただけると思う。


 史跡公園の方は、というと、ちょっと整備され過ぎな感じがしましたね・・・。
 カラー舗装された園路が、クリートと擦れ合ってギャリギャリと不快な音をたてるので、ちょっと私的にはポイント低い場所でした。
 (これでも、歩き易いSPDのクリートでの話だ。SPD-SLだったら、園路表面を削って歩いていた所だろう)

 ちなみに、資料館の展示で見ましたが、この柳之御所跡、国道4号バイパスの当初計画ルート(1997年頃の計画だったか?)の地下に埋まっていた物だったようですね。
 4号バイパスはその後、線形を北上川沿いに振られ、一部、北上川の河道を変更するなどの大掛かりな工事を経て完成し、遺跡は守られたようです。

 これが高度経済成長期などの、全てにおいて開発優先の時代であったら、「んなもん、構ってられるかぁ!」とばかり、ぶっ潰されていたかもしれないと考えたら、平成年代で良かった、と真剣に考えてしまったりします。

4.旧観自在王院庭園
 毛越寺に向かう途中、目についたので立ち寄り。
 現在は土塁などの遺構と、庭園にあったという池が残っているのみでした。


11091316.jpg
残されていた池。
舞鶴池、というらしい。


 他に何もなかったので、隣の毛越寺に向かいました。

5.毛越寺
 今回の平泉訪問で、最も長時間滞在した場所です。
 とにかく、遺跡の規模が大きい上に、見所が多い(^^;)。
 恐らく、現在の平泉においても、見所としては中尊寺に次ぐくらいの場所だと思います。


11091317.jpg
毛越寺の山門を潜った所から見た、
現在の本堂方向。

私が訪れた前日に、
ここでグラミー賞を受賞しているジャズバンドの
演奏会があったらしい。
(くそ!平泉で降りた大勢の人は、それが目当てか!)


 参拝料を払って中に入ると、上の画像でいえば左手方向に資料館があったので、まずはそこを見てみます。
 入口で、携帯に向かって、やたらと「今ね、世界遺産にいるの!」を連呼しているオバサンが居ましたが・・・。
 私、世界遺産なら結構見てますから、そんなに強調する事でもないと思いますけど・・・(京都に行ったら、どんだけ見られることか。近所に世界遺産がゴロゴロしている知り合いもいるし)。

 それはさておき、毛越寺。
 平安時代には、国内でも有数の霊場として知られた場所のようですが、私の印象では、都の風雅を平泉に持ち込んだ場所、という物になりましたが、どうでしょうか?


11091318.jpg
浄土庭園、大泉が池には、
今も平安期の姿を留める場所が多いという。

11091319.jpg
また、浄土庭園周辺には、
かつての毛越寺の重要施設の遺構が多く残っている。
察するに、相当の規模の寺院だったことがわかる。

11091320.jpg
個人的に、一番ぐっと来たのが、
この「遣水」の遺構。
これ、京都の寺院でも見かけるけど、
単なる水路になっている場所が多いんだよね・・・。

で、こういう小さなせせらぎには、
たくさんの水生生物が住むことが出来るという、
ネイチャーな視点からもぐっと来てしまうのだ(^^;)。


 とにかく、境内の隅々まで見所が散らばっているので、隅々まで見て回り、気付いたら1時間近く滞在していました(笑)。
 それでも、まだまだ見足りない気がします・・・。


11091321.jpg

11091322.jpg
それにしても、この風景。
どなたか、紅葉期に、
同じアングルで撮ってくれないだろうか。
(水面の映り込みも意識して・・・)

11091323.jpg
オマケでひとつ。
3.11の震災は、
こんな所にも影響していたか・・・。


 大泉が池の中にある立石という遺構ですが、どうやら3.11の震災により、傾きが増してしまったようで、現在は状況調査中でした。
 世界遺産ですから、現状復旧・維持が義務づけられていることもあり、こういう調査が必要とされているようです。
 まあ、おかげで立石周辺の庭園修景状況は、かなり残念な状態でしたが、調査が終わる頃にまた訪れる、なんてことも考えられてしまうくらい、見所豊富な場所でした。

6.達谷窟毘沙門堂
 厳密には、平泉地区からは少し離れた場所です。
 毛越寺の前の道を南西に2~3kmほど行った所にある、毘沙門天(四天王でいう所の多聞天)を祀ったお堂です。


11091324.jpg
外観はこんな感じで、
鳥取県の三徳山にある「投入堂」にも似ている。
もちろん、立地の峻険さでは、
「投入堂」の方がはるかに上だが・・・。

11091325.jpg
しかし、オーバーハングした岩壁といい、
よくぞこんな場所にお堂を建てようと考えたなあ。


 お堂の中も参拝できたので見てみたら・・・。
 本尊である毘沙門天像は、お堂の中でなく、背後の岩壁に穿たれた・・・のか、自然に開いていたのか、とにかく岩屋の中に安置されており、お堂はそれを覆い隠すシェルターのような構造の建物でした。

 実際には、京都の清水寺の舞台を模して作られたらしいのですが、清水寺の舞台と比較したら、前方への張り出しが小さ過ぎる気がしますね・・・。
 基礎の列柱の作りは似ている・・・のか?ううむ・・・。


11091326.jpg
毘沙門堂の奥の崖には、
「顔面大仏」という磨崖仏がある。
さて、どこにあるでしょう・・・。

11091327.jpg
正解はここ。
上の画像では左上側。
心霊写真だなどと言う感想を持った皆様。
罰当たりですぞ(笑)。


 一応、この大仏様。
 「源義家が弓筈をもって刻む」という伝説があるそうですが・・・いくら何でも無理でしょ、それは・・・。


11091328.jpg
顔面大仏を引いて見ると、
左肩の辺りまで、刻まれた跡があるように見える。
もしかすると、昔日には全身像があって、
崖面が風化、剥落した可能性はないのだろうか?


 ちなみにこの顔面大仏。
 後に厳美渓から帰ってくる時には、道の正面にどど~んと顔が見えていて、何とも言えないインパクトを持っていました。

閑話休題:厳美渓と道行く間に見たもの
 ここからは、平泉を完全に離れる厳美渓と、主に平泉~達谷窟毘沙門堂~厳美渓の間の移動中に見たアレコレについて、閑話休題的に書いておきます。


11091329.jpg
姫待ちの滝。
自転車でなかったら、
気付かなかったかも。


 平泉から達谷窟毘沙門堂に向かう途中、道路の左下に見えた滝です。
 自転車で走っていたので、落水音で気付きましたが、自動車で走っていたら、気付いたかどうか・・・。

 この周辺の地質ですが、結構岩盤が浅い場所に出ているらしく、この滝の上流側は、川底が一枚岩のように滑らかな岩がしばらく続いていました。
 達谷窟毘沙門堂のような特異な建物が造られたのも、こうした岩盤地質に由来するのかもしれません。


11091330.jpg
やっぱりある、震災の爪痕。
ここは左の崖が崩れたらしい。

11091331.jpg
ここはまだ崩れていないが、
現地では左の岩壁(髭石)が、
今にも崩れそうなくらいに
せり出して見えた。

11091332.jpg
髭石の名の由来は、
この岩壁に髭のような筋があることだと思う。
(現地では未確認。私の想像の話)

フラッシュ撮影すると目立たないが、
画像中央右寄りに、
右下方向に何本か筋がある。
これが画像左を流れる川の反射光を受け、
髭のように見える角度がある。


 まあ、あの震災は、本当に様々な場所に影響しているのですね。
 この翌日、仙台まで自走した時に、さらに痛感させられることになりますが・・・。


11091333.jpg
そして到着、厳美渓。
達谷窟毘沙門堂から3kmほどで、
平泉からは6kmほど離れている。
途中にママチャリではキツそうなアップダウンあり。


 厳美渓には、当初行く予定はなかったのですが、達谷窟毘沙門堂に着いた時点で12時半頃。
 いい加減、昼食を、と考えたのですが、毘沙門堂の周囲には何もなくて・・・。
 平泉に戻っても、めぼしい店は満席だろう、と考えて目的地を考えたら、「厳美渓周辺には名産品を売る店舗などあり」という情報があったので、それならそこまで行くか、と考えて向かった場所だったりします。

 しかし、意外なほど・・・というとアレですが(^^;)、渓谷美がきれいで、もうけた気分でした。
 厳美渓近くにあった蕎麦屋が、ちょうど席も空いていたので、入ってみることにしました。


11091334.jpg
朝から走りっ放しで腹が減っていたので、
大盛りを頼んだ。

容赦ないのが出て来た・・・。


 いやあ・・・山を崩さず取るのが大変でした(笑)。

 とにかく、こんな馬鹿なことをやりつつ、再び平泉に戻り、今度は金鶏山の方に足を伸ばしてみます。


11091335.jpg
・・・山だもんね。
そら、坂はキツいよね・・・。


 予想していなかった急坂・・・。
 クソッと思い切りトルクをかけたら、前輪が浮きました(^^;)。
 いやあ、一瞬、ひやっとしましたよ。


11091336.jpg
その金鶏山の山腹にあった、
伝義経夫婦の墓。

・・・いや、平安後期の物としては、
石が新し過ぎるでしょ。


 この義経夫婦の墓、と言われている一対の墓石ですが・・・失礼ながら、私にはちょっと眉唾に過ぎるかな、と。
 見た目に新しい(ウチの本籍地にある、明治期の墓と同じくらいに見える)ですし、地域の名士の方のお墓か、後世に別の形で祀るために作られた物ではないかと・・・。

 まあ、金鶏山自体は、先に書いた通り、義経が平泉で隠れるとしたらこういう場所だろう、と私が考える地形に合致していますから、こういう物があること自体は不思議ではないのですけれど・・・。

7.平泉文化史館
 結果的に、14時半頃にはぐるりと平泉+αの範囲を一周して来てしまい、再び中尊寺前に戻って来てしまったので、最後の締めに、と訪れた場所です。
 一応、資料館のような施設なのですが・・・受付に誰もいなくて、入場料をどこで払えば良いのかわからず・・・。
 しばらく待っても誰も現れないので、まあ良いか、見て歩いて、人が戻って来たら払おう、と思い、展示物を観賞。

 1階は平泉の歴史・・・らしいのですが・・・。
 出土品などの保存状態が、ちょっとこれはどうなの、と言いたくなる物(金属製の出土品がボロボロに崩れているとか・・・)もあったりする上に、展示物が全体的に古いかな、と思われる構成なのも・・・うむむ。
 (展示されている地図に書いてあるのが、「国鉄東北本線」とか、国道4号が、どう見てもバイパス云々以前に、旧々道線形だったりとか・・・。航空写真も、どう見ても昭和30~40年代としか思えない家屋&市街地の作りだったり・・・)

 2階の収蔵物は、基本的に個人で収蔵していた事物の展示のようで、江戸期の伊達藩直轄地時代の物が多かったですね。
 一部に、化石や石器(?)がありましたが、詳しく見なかったので、どの辺りで出土したものなのかはわかりません・・・。


11091337.jpg
展望台という名のテラスから北方向を撮影。


 まあ、ざっくりと平泉の歴史を知るには良い場所かもしれませんが、歴史的な事実に関しては、最新の研究のフィードバックが欲しい所ですね。
 ちょっと調べてみたら、どうやら個人経営???の場所のようで、昭和40年代の展示がそのまま維持されている???ような記述をしているWebサイトもあったので、情報の一部は古くなっている可能性も考えられます。
 (少なくとも、一部、変色してしまっているパネルの交換と、地図、航空写真は最新の物か、せめて2000年代の物に変えた方が良いのではないかと・・・)

 あと、完全な余談ですが、入口前にあった石積みの山。
 何があんな姿になったのかと思ったのですが、以前の外観写真を載せていたWebサイトの物を見ると、灯籠があったんですね・・・。
 震災でその灯籠が倒壊したのか・・・それにしてはゴツゴツしたコンクリートと岩の塊が積み上げられていたなあ、と、妙に印象に残ったのでした。

そして一日終了
 以上、色々回っての所要時間、朝9:21~15:30くらい。
 各遺跡を隅々まで見て、資料館などもじっくり見て歩いて、さらに厳美渓みたいな、余計な遠出を含んでの所要時間なので、標準よりも長くかかっているかもしれません(まあ、移動速度はママチャリの比ではない高速だったけどね、ロードだから・・・)。

 中尊寺を回ると、さらに+2時間程度が必要になると思いますが、朝一番からレンタルサイクルで回るにはちょうど良いくらいのスケールの観光地だと思います。
 あるいは、折り畳み小径車で輪行して来て、サクッと走り回るとか・・・(実際、ブロンプトンで回っている人を見かけた)。
 平泉圏に限定するなら、そんなに嫌らしい坂もなく、快適に走れると思います。

 なお、平泉探索後、私は再び国道4号を北上し、水沢まで帰還(水沢までは、途中、かなり長い休憩を挟んで1時間くらい)。
 そのまま2泊目の宿泊に入り、翌日、仙台まで自走で帰ってきました。

 まあ、その復路の自走でも、色々あった訳ですが、それはまた、次回に・・・。

関連記事
コメント
参考にさせて頂きました。
10月の三連休で北上・平泉の輪行旅行をしてきました。
tikitで回るには丁度良い観光地でしたね。(鎌倉とかだと人と車が多すぎで…)

特に、厳美渓とそこへ行く道は素晴らしく気持ちよかったです。

おまけ、毛越寺の立石周辺は元通りになっていました。
紅葉は残念ながらごく一部で始まりかけているだけでした。
2011/10/12(水) 22:46 | URL | 神子秋沙 #i4Osxf7.[ コメントの編集]
Re: 参考にさせて頂きました。
北上・平泉旅行、お疲れさまでした。
やはりtikitにちょうど良いサイズの観光地だったようですね。

厳美渓に行く道は、ロードだと一瞬でしたが、景観がぐるぐる変わって楽しい道でしたね。
ちなみに、来年、宮城のブルベでは、あの辺りを走るコースも想定されているとか・・・(ボソッ)。

> おまけ、毛越寺の立石周辺は元通りになっていました。
おお!もう終わりましたか。
では、来春か初夏か、また良い季節を選んで行ってみようかな?

> 紅葉は残念ながらごく一部で始まりかけているだけでした。
今は東北でも、かなり高標高地帯が見頃、という段階のようです。
(蔵王などは、かなり良い感じのようです。仙台は、まだ緑です)
例年、平泉の紅葉の見頃は、10月下旬~11月初旬くらい、という事で、
平泉旅行を狙っている皆様、これからが良いシーズンですよ、
という宣伝を加えておきましょう(^^;)。
2011/10/12(水) 23:32 | URL | YO-TA #-[ コメントの編集]
コメントの投稿
【Font & Icon】
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

YO-TA

Author:YO-TA
2011年7月に東京から仙台に移住。
相変わらず、デジカメ片手に、サイクリングやハイキングを楽しんでいます。
突然、突拍子もないことをやらかしますが、それはまあ、ご愛嬌という事で…。

Twitterでつぶやき中
最近の記事
最近のコメント
カテゴリー
月別アーカイブ
最近のトラックバック
ブログ内検索
RSSフィード
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
雨雲レーダー
リンク