日々是遊歩。見て、聞いて、感じて、それを殴り書き。

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そして、私の見ている被災地の今

 '11.07.23、13:50頃。

 携帯に久々、緊急地震速報の、「ぶわっぶわっぶわっ ぶわっぶわっぶわっ」の音が鳴り響き、休日出勤者が集まっていた(ちょうど、ミーティング中だった)職場に緊張が走りました。
 結果的に、仙台市の震度は3程度だったようですが、ビルの7階の揺れは案外激しく、また、窓から見える隣のビルがグワングワンと揺れているのがわかるなど、まだまだ震災の記憶が新しい仙台のスタッフには、キツい時間だったようです。

 東京から異動して来たスタッフは、「よう揺れるなあ・・・」と、ケロッとしていましたが・・・(関東も、結構な被害を受けたはずなんだが・・・。あの差は何だったんだろう ^^;)。

 では本題です。
 仙台に異動になってから、2週間。そして、被災地を初めてこの目で見てから、1ヶ月が経過しました。
 北国の東北にも夏が訪れ、日中の気温が30度を超える日もありますし、既にセミの声も聞かれるようになっています(まだニイニイゼミ、ヒグラシといった、初夏のセミが主体ですが)。

 そして、私は現在も、週に2~3回程度、相馬市~新地町に出向いて、現地のスタッフを統括・支援する仕事を行っています。
 今日は、その中で見ている今の被災地の状況について、感じている事をずらずらっと雑感的に書いて行きます。

 例によって長文病なので、核心部分は裏置きです。
 興味のある皆様は、Read moreをクリックして下さい。

 最初に被災地を見てから1ヶ月が過ぎ、仙台に赴任してからは2週間が過ぎました。
 仙台に、もともといた社員の中には顔見知りも多かったですし、肩を並べて仕事をしているうちに、3.11当日、そして最大の余震だった4.7の震度6の日の事(NHKのカメラが仙台市の変電所のスパークと停電を捉えたあの日)を、何度も聞かせてもらっています。
 また、私も地元の皆様や、任地の自治体の職員の方の中にも顔見知りができ、災害復興支援の仕事は、忙しくなる一方になっています。

 現在の現地の状況ですが・・・。

 まず、仙台から福島県北部に南下する際に、高速から見える名取、亘理、山元の海岸線ですが、1ヶ月ほど前に私が被災地について書いた頃から、見た目が大きく変わっています。
 大きく変わったのは植物。
 夏の日差しと暑さを受けてか、緑色が急速に広がり、そして、塩害で茶色だった木々も、かなりの数が緑色に復活して来ています。
 木々の緑は、季節外れの黄緑色が強い若葉の緑なので、もしかしたら、新たに芽吹いた新芽なのかもしれません。とにかく、自然の方は、持てる力の全てをかけて、復活しようとしています。

 一方で、瓦礫や廃家電、流出した生活雑貨等々が散乱している状況は、本当に何にも変わっていません。
 単に、植物が繁茂したおかげで、小さな物が見えないように隠れてしまっただけで、ホントのホントに何にも、まーったく何にも変わってません(災害が起きてから4ヶ月。私が最初に見てから1ヶ月。どーなってんだ、と本気で思う)。

 新地町と相馬市の被災地も、耕作が行われていない農地に野草が広がり、一見すると片付いたように見えます・・・が・・・単に草で隠れて見えなくなっただけで、瓦礫などの散乱状況に大きな変化はありません。
 以前に画像を載せた、あの座礁した漁船も、いまだにそのままになっていますし、流されて来た自動車も、農地にそのまま残されている場所が多くあります(一見すると、空き地に駐車しているように見えるのだが、近付くと窓が割れていたり、ボディがボコボコになっていたりするので、被災車両とわかる)。
 新地町の一部では、農地の土壌に残る塩分を抜くために、塩分吸収能が高いという綿花の栽培がはじまったようですが、まだ個人レベルの話のようで、地域の大きな流れにはなっていないようです。

 つまり、自然界はあの災害で受けた傷から着実に回復しようとしているのに対し、人間社会はと言うと、停滞したままという状況です。
 色々と問題はあるのでしょうが・・・一番大きな問題は、政府のトップが迷走を続けている上に、復興には何の足しにもならない「再生可能エネルギー促進法」だの何だのにうつつを抜かしている事ですけれどね・・・(被災地の私の顔見知りの皆様&仙台のスタッフの中には、「私の顔を見たくないなら、この法案をさっさと通しましょう」とニヤけていたあの映像に、不快感を通り越して、殺意を覚えた人も少なからずいるようだ)。

 まあ、政治の話は場が荒れるもとなのでさておき、一ヶ月の間に、私もずいぶん現地の地理が頭に入って来た事から、ウチの社員の現地視察の案内役を務める事もあります。
 最初に、「実際に見たら、言葉を失くしますからね」と注意しておいても、ほとんどの社員が絶句しますね、被災現場の状況は・・・(私もそうだったけど)。
 特に、土木系の担当社員を連れて来た時の絶句度合いは、こちらの予想を上回ります。彼らにしてみれば、今まで万全を期して来たはずの防災施設が、何の役にも立たなかった事を、嫌でも見せつけられる訳ですから・・・。

 こういう状況を見ると、現在の被災地の状況ですが、以前のネタでは、「好奇心だけで見に来るのは控えて欲しい」と書きましたが、建設・土木系および建築系の学生や技術者の皆様には、機会があれば見ていただく方が良いとも思わされます。

 しかも、今、現地を見るのは、『イメージでしか捉えていなかったものを実際に見る』ことにもなります。
 以前の話では、所詮、テレビや雑誌の風景は、切り抜いた一部分、と書きましたが、現地を目にすると、それ以上の物も見えてきます。
 自分の周囲、360度全方向が全て、破壊し尽くされた跡、というだけでも、相当の衝撃ですが、報道で使われる言葉の意味する物が、全く違う物である事にも気付かされるはずです。

 例えば、被災地の報道で良く出てくる『瓦礫』という言葉。多くの人は、建築廃材(つまり、家屋が流失する過程で発生した木材など)が積もった状態だと思っているかと思いますが、実際には全然違う物です。
 確かに廃材も多く見られるのですが、実際に現地で『瓦礫』として扱われているのは、建築廃材だけでなく泥土、砂利、岩石、コンクリート片、流木に、自動車、農耕機、船舶、家電製品、廃生活雑貨などの様々な漂着物が、物理的に絡み合ったり、船舶用燃料の重油由来?のエマルジョン(オイルボール)のような粘着物などで癒着したり、火災などが発生した場所では樹脂が溶着したりして、とにかく色々な物が混ざり合って堆積した、とても厄介な代物です。
 分別しようにもできないほど、複雑に絡み合った物も多いですし、圧縮しようと圧力をかけようが、ほとんど容積が変わらないため、農地や住宅地から除去して集めると、それが巨大な山となって積み上がります(瓦礫の仮置き場は、そのまま廃棄物処分場の様相だ)。

 しかし、その瓦礫、単なる廃物という訳ではありません。その中には、そこに住んでいた皆様の、確かな生活の痕跡も一緒に混ざっているのです。
 一番目につくのはぬいぐるみ(カラフルゆえに目立つ)のような物ですが、それ以外にも家財道具や衣服、家電製品に、自動車のような物までが一緒になって絡んでいるのは、普通一般にイメージされる瓦礫の姿ではありません。

 さらに特筆すべきは、視覚だけでなく、その他の感覚(聴覚、嗅覚、触覚などがその多くになるでしょうか?)に訴えてくる情報が少なからずある事です。
 代表的な物は、特に三陸地域などの内湾域で感じられる、「嗅覚」でしょうか?
 私が良く訪ねている福島県の沿岸地域は外洋に面しているため、津波堆積物に含まれるのは砂やシルトが主体であり、異臭などの被害はそれほど顕著ではありませんが、三陸方面などの内湾の多い沿岸域では、海底に堆積していたヘドロ(内湾は水の交換が悪いため、自然由来の有機質泥土も多くたまっている事が多い)がこれに混じり、猛烈な臭気を発しています(三陸地方に出向いた回数は少ないが、そこで感じられたのは、河口の泥を掻き混ぜた時に出るヘドロ臭に、動物の腐乱臭を混ぜたような、とにかく酷い臭気だ)。

 この現場を実際に見た人と、写真だけで見ている人の間には、例えばウチの社員の間にも、現状認識に大きな差があるように感じられます。
 もちろん、実際に現場を見て、現地の皆様と言葉を交わした人間の方が、正確に現状を認識しています。いまだ、全然前に進んでいない、と。

 そして先日、私は南相馬市まで足を伸ばす機会がありました。
 南相馬市は、南部の小高区(旧小高町)の市街地が、福島原発の事故の影響による立入制限区域(原発から20km圏内)に含まれる地域です。
 最近では、セシウム汚染牛の話題など、残念な方向でも名前が出てしまっていますが・・・。

 南相馬市は、しかし、現状は浜通北部では一番、活気が少ないように感じられます。
 南部に原発事故による立入制限区域があるためか、最も人口が多い原町区でも、個人経営の商店だけでなく、ファミレスやファーストフード、コンビニ、家電量販店などの、全国展開級の大型チェーン店の中でさえも、休業中という店が少なからずあります。

 まあ、無理なからぬ所もあると思えるのですが・・・。

 南相馬市はもともと、市域を南北に貫く国道6号の通過交通によって、流通などが成立していた地勢にあると考えられます。
 しかし、現在はその主脈である国道6号が、市域南部に原発の立入制限区域が設定されているため、途中で寸断された形になっているため、通過交通を捌く事が出来なくなっています。

 新地町、相馬市は、町・市域を南北に貫く国道6号に加え、東西に抜ける国道113号(新地町)、国道115号(相馬市)の存在により、中通り地区や仙台方面への迂回路をとる事が出来るため、流通や人々の往来の停滞を招く要因はそれほど大きくありません。
 実際、新地町~相馬市内であれば、普通に営業している店舗が多くありますからね。

 一方の南相馬市は、鹿島区、原町区、小高区のそれぞれから、中通り地区に抜ける県道がありますが、県道の規格では、国道ほどの交通量をスムーズに捌けるようには作られていないため、通り抜けにはあまり向きません。
 結果的に、現在は半島の先端や袋小路のような地勢になっており、物流や人の往来がどうしても限られる状況になっています。
 結果、外部からの人の流入が少なくなり、消費活動も限られてしまうために、町から活気が失われてしまっているように感じられました(多分、これは浜通り地区の南側でも同様になっていると思う)。

 今後、こうした地域の復興をどのように考えるのか。
 凄く大きな課題になると思うのですが・・・どうも中央の動きが鈍いというか、なんというか・・・(でも、住民の皆様は、本当に色々と頑張っているのですけどね)。

 なお、現在、被災地の各地では、復興に向けてのスローガン的な言葉が、街角や店頭などに表示されている事が多くあります。

 一番多いのは、「がんばろう、○○(○○には地名が入る)」です。
 松島では、「前進、松島」という言葉がありました。
 その他に、「負けない」や「もう一度」等の言葉が並んでおり、どの地域でも前向きな気持ちを鼓舞する言葉であるのはお約束ですね。

 しかし、私が一番好ましく感じているのは、仙台市の市役所や施設、区役所等に出ている、この言葉でしょうか?

 「ともに、前へ!」

 がんばろう、よりも無理して片意地張った感がなく、マイペースながら確実に前を向いている感じがあって、なんだかほっこりする感じの言葉だと思います。

 疲れたら休んでもいいから、少しずつでも前へ。
 なんだか、ブルベでヘタれてDNFを考えていた時の自分を思い出すところがあったりもしますけれどね(^^;)。

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YO-TA

Author:YO-TA
2011年7月に東京から仙台に移住。
相変わらず、デジカメ片手に、サイクリングやハイキングを楽しんでいます。
突然、突拍子もないことをやらかしますが、それはまあ、ご愛嬌という事で…。

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