日々是遊歩。見て、聞いて、感じて、それを殴り書き。

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被災地をこの目で見て来た。

 ずいぶん前の話になってしまうので、冒頭脱線で。

 6/4日に、小径車オンリーイベント、MINI LOVEに顔を出してきました。
 私は自転車の世界にはミニベロから入ったので、こういったイベントはとても興味があります。

 とにかく、ミニベロの世界の人達は、良い意味で濃い人達が多く、自分の車体に注ぐ愛が強いと言うかなんというか。
 車体に装着したちょっとした小物の一つに至るまで、とにかくこだわりの品が多いのです。

 そういう人達が集まって、カスタム自慢やレースで競うとあれば・・・。
 その濃度は過飽和状態になる訳ですね(^^;)。

 多分、首都圏でもなければ、ここまでニッチなジャンルに、ここまでの人を集める事はできないでしょうけれど、来年以降も行われて欲しいイベントですね、これは。

 では本題です。
 さて、来月中旬には東京を離れ、仙台へと引っ越す事になっている訳ですが、それに先立って、東北拠点の業務補助で、東日本大震災の津波被害が甚大だった、福島県相馬市~新地町に行く機会を得ました。
 様々な報道で見聞きしてきていましたが、実際に目にすると、やはり全く違う印象を受けました。

 本文は長い上に、少し刺激が強い(一部、掲載して良いものか迷うような)画像を含むので裏置きします。
 興味のある方は、以下のRead moreをクリックして下さい。

 震災当日、午後2時頃。
 私は仕事での外出の用事を終わらせ、新宿駅に到着し、遅い昼食をとっていました。

 今思えば、この日、出かけた先のさいたま市で昼食をとっていたら、その後はとんでもない事になっていた事でしょう。
 当初は大宮駅付近で食事をとるつもりでしたが、その日に限って、なぜか電車の時間確認を優先したため、数分後に来る予定だった湘南新宿ラインで新宿まで帰ろう、と思った事が、この後の幸運に繋がりました。

 食後、地下道を通って新宿駅の改札に向かっている所で、地震が到達しました。
 新宿付近は震度5弱。地下道の中でも、大きな揺れを感じました。
 新宿付近の、あの雑踏がピタリと静止して天井を見上げる異様な風景。
 その中を、観光客らしい外国人が、悲鳴を上げながら駆け抜けて行きましたが、そのとき、その外国人の皆様に、立ち尽くして天井を見上げる日本人の姿は、どのように見えていたのでしょうか?

 しかし、地下にいたため、ビルからの落下物を気にせずにいられた事は幸運でした。
 その後、電車の運行が完全に停止したため、歩いて会社に戻り、無事の消息を知らせた後、徒歩で帰宅しました。自転車通勤をしていたため、裏道なども良くわかっており、混雑する幹線道を避けて歩けたのも幸運でした。

 震災当日、私は概ね幸運に守られていたと思います。
 まあ、無理に徒歩帰宅したのは、あまり褒められた事ではありませんが・・・(そういう時は、公共交通機関が動くまで、会社にとどまった方が良い)。

 この日、道行く間に見た携帯のワンセグ放送で、東北地方をはじめ、東日本の広域で甚大な被害が生じたことは分かっていました。
 その後、関東地方でも余震が続き、夜中に携帯の緊急地震速報が鳴って飛び起きる日々が続きました。
 東北地方の被害状況は、日を追うごとに深刻な状況が明らかになって行き、復興まで、途方もない時間と労力が必要となるであろう事も、この時、おぼろげながら感じていました。

 そして、私はこの夏から、災害復興支援対策チームの一員として東北支社に赴任し、仕事の範囲内ではありますが、復興のために働く事になりました。
 大変な仕事ですが、これ以上ないくらいにやりがいのある仕事でもあります。

 今回、東北支社の業務支援のため、現地事務所の開設にあわせて、福島県の北部地域の被災地に入って、現地状況を視察する機会を得ました。

 最初、被災地を目にしたのは、車の中からでした。
 相馬市に開設する現地事務所を下見に行くため、仙台市の支社をレンタカーで出発し、常磐道経由で福島県へと南下するルートを取りました。
 ちなみに、仙台市の中心部は、既に日常生活を送る上では、全く何も問題ないレベルにまで、インフラが復旧しています。一部に、外壁の剥落防止、補修のためにネットをかけられたビルがある以外、目立った被災の痕跡は見られませんでした。

 高速が海に近くなると、道路の左右で明らかに風景が異なる場所が多くなります。そこがちょうど、地震直後に津波が押し寄せてくる様子が空撮されていた、仙台市の海岸地域でした。
 道路の左側、海に近い方は、水田と思われる場所が、洪水が通った後の河川敷に積もる枯草や流木のような、茶色いものに覆われています。その一方で、右側は一部を除いて、植え付けられた稲の苗が風に揺れる、日本の標準的な平野の風景・・・。
 「盛土構造の道路が防波堤になって、津波をある程度食い止める働きをした」という話を、宮城県の復興基本方針等で見た覚えがありますが、この風景を見ると、それは確かな事だったと思わされます。

 一面に降り積もった枯れた植物の間に、バケツや冷蔵庫などの漂流物が散乱しており、そして、見渡す限り、塩害で立ち枯れた木々が広がっている、茶色の風景。道路を一本挟んだ反対側と、ここまでくっきりと明暗が分かれていると、何とも言えない気分でした。
 その風景は、テレビや新聞雑誌等の報道で、何度も見た風景ではありましたが、全く印象が異なりました。

 報道される風景は、所詮、切り取られたフレームの中の、限定された範囲だけでの話であり、スケール感がはっきりしなくなります。
 実際に現地に立って、肉眼で見てみると、自分の視界の全てがそんな風景で覆われており、とんでもないスケールである事を痛感させられます。そして、それは言葉を失うほど衝撃的な風景でした。

 福島県の手前で高速は未通区間(まだ建設前)になるので、国道6号沿いを南下します。そこでも、色々と信じられない風景を見せられました。


11061801.jpg
国道沿いの農地に乗り上げている漁船。
ここは海岸線からは3kmほど離れており、
海は全く見えない。
ここまで船が流されるなんて、
これを見ても信じられなかった。


 本来であれば、既に水が引かれて、青々とした稲の苗が風に揺れているはずのその風景は、そこにはありませんでした。
 水田は乾いた泥に覆われ、作付けできるような状態ではありません。海側だけでなく、山側にも、作付けされていない水田や畑が点々としています。

 国道6号も、常磐道同様に盛土構造の部分があり、そこが津波をせき止める防波堤のようになったそうですが、道路の下を潜る川や道に沿って、反対側にまで浸水が及んだ地域もあったようです(常磐道沿いでも同様だったそうだ)。
 また、国道は高速道路とは異なり、周辺道路と交差する必要があるため、盛土構造でなく、平面構造で道路が低地まで下りている場所もあります。
 そんな場所では、国道を津波が横断したらしく、山側でも道路際の看板が薙ぎ倒されていたり、建物が倒壊したりしていました。

 とにかく、海に近い(といっても、海から2~4kmはある)低地のうち、国道6号から海に近い場所は、ほぼ全面、茶色い泥で覆われた荒野になっています。
 海砂や海泥が堆積して起耕できないだけでなく、土地の持ち主が被災し、トラクター等の農機具を失っていたり、遠くに避難している、あるいは行方不明のため、耕作を続けられないという背景もあるそうです。


11061802.jpg
そして、そこはまだ完全に片付いている訳ではない。
至る所に、自動車や瓦礫が残る場所も多い。

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相馬市の海岸に近い場所では、
まだ水が引き切っていない場所もあった。
なお、ここから先の海岸部は、
一般者の立ち入りは制限されている。


 この地域は、7~8mという、当初想定を大きく上回る津波が押し寄せ、自治体が作成していた津波ハザードマップに示された浸水エリアをはるかに上回る広域に、浸水被害が出たそうです。
 浸水被害があった範囲かどうかは、いまだに残る瓦礫や漂着ゴミのために、3ヶ月経った今でもはっきり分かるほどでした。現地の皆様は、「ずいぶんきれいに片付いた」と話していましたが、私の目にはとてもそうは見えませんでした。

 しかし、以前は漂着した瓦礫が辺り一面を埋め尽くし、道路がどこにあるかも分からず、ブロック塀等が薙ぎ倒されていた場合、自分の家の庭がどこまでかも分からなかったと言いますから、被災直後はどれほど酷い状況だったのか・・・。
 その後、海岸部に近付くほどに、荒れ具合は酷くなって行き、道路のアスファルトがボコボコに浮き上がっていたり、側溝や歩道の縁石などが流されて道路にはみ出していたり、場所によっては道の下の地面が抉られて空洞になっていたりと、とにかく被害状況が深刻になって行くのが分かります。


11061804.jpg
最後にこんな風景の中に出て、
完全に声を失った(相馬市内)。
ほとんどの建物が土台(基礎)を残し、
流失している。

11061805.jpg
しかし、場所によっては基礎が残っていればまだ良い方で、
基礎ごと流失している地域もある(新地町内)。
別の場所では、水田の中に、
基礎ごと流されてきた住居が取り残されていた。


 海岸から数百メートルの距離にあった地域は、本当に酷い状況でした。
 町そのものが破壊され、姿を消してしまっており、残っているのはわずかな痕跡のみ。あちらこちらに花が供えられているとともに、家族や知人の消息を尋ねる立札もいくつか見られます。
 そして、人の姿、家屋の姿さえなくなったその道筋に、もう一度、町を再建する決意を寄せ書きにした日の丸が、風にたなびいている場所もありました。

 たった3ヶ月前まで、ここには多くの人達の、普通の幸せな生活があったとは信じられない状況でした。
 良く似た風景として思いつくのは、海外の紛争地帯の空爆後の都市の風景とか、そんな物しかありません。
 福島県の海岸部では、津波で壊滅的な被害が生じた、と、言葉や文章や写真や映像で何度も目にしてきましたが、本当にそれがどんな状況を示しているのかは、肉眼で見るまで分かっていませんでした。

 上に掲載した画像も、風景のほんの一部を切り取ったものでしかありません。実際には、視界の隅々までが、この、甚大な被害を受けた地域の破壊の跡だったのです。
 その風景に、カメラを向けるのは躊躇われました。そんな行動は、何かを冒涜するような、そんな気分になりましたから。

 実際にこの現場を目にした時に受けた衝撃は、恐らく、どんなに言葉を尽くしても、正確には伝えられないと思います。百聞は一見にしかず、という言葉がありますが、まさにそのような気分です。
 (だからといって、今、現地を好奇心からノコノコ見に行くのは慎んで下さい!被災した皆様は、そういう無神経な行動に非常にナーバスになっておられますし、あからさまな敵意を向ける人も多くいらっしゃいます)

 そんな風景を見た後に、相馬市内に構える事になった現地事務所に向かいました。
 津波による、深刻な破壊の跡を見た後だっただけに、相馬市の市街地は、ほぼ日常に近い状態が残っている事に、かなり安堵させられました。
 まあしかし、被災した皆様は避難したり、仮設住宅に入っていたりしますから、一時的に人口は減っているようで、市街地とは言っても人通りはそれほど多くなく、私同様、被災地の復興支援等で現地入りしている人達の姿の方が目立っている状況だったのですけれど・・・(作業服にヘルメット姿の人達は、本当に多く見かけた)。

 それにしても、津波の力がどれほど物凄いものであったのか、上に掲載した画像でもお分かりいただけると思いますが、もっと驚かされたエピソードを一つ。
 ある農地の片隅に、瓦礫をまとめて積み上げたような塊がありました。
 ああ、ここはまだ片付いていないんだな、とその近くを通り過ぎようとした時・・・その瓦礫の山に見えた物は、実は破壊されて潰された、一台の自動車(恐らく、セダンタイプ)である事に気付きました。
 津波に押し流されている間にどういう力が加わったのか、自動車本来の形でなく、球体に近い形に折り曲げられてしまっていたのです。

 また、とある広場に、被災して移動されたらしい自動車がずらりと並べられていましたが、その中の少なくない数の屋根や扉が切り開かれている事にも気付きました。
 疑問に思ったので現地のスタッフにそんな話をしたら、「あれは、自動車を動かす前に、中から出してあげたからだよ」と聞かされて、ずいぶん暗い気持ちになりました(本当に沢山だったのですよ・・・)。

 この震災の被害は、実際に目にしてみると、報道されている以上に深刻な状況である事が分かります。

 しかし、そんな深刻な被害であったにもかかわらず、現地の皆様は、再び立ち上がろうとしていました。
 3ヶ月前に津波の浸水を受け、半壊した家屋の中には、既にリフォーム等が行われてきれいになっていたり、まさに今、立て替えやリフォームの途中だ、というお宅も多くありました。


11061806.jpg
国道沿いで見かけた立て看板。


 自衛隊や、ボランティアの皆様への感謝の言葉は、あちこちにありました。
 コンビニやファミレスの店頭、国道沿いの立て看板や横断幕、そして、個人のお宅の玄関先や道路に面する窓にも、そんな言葉がたくさん、掲げられています。

 実際、自衛隊やボランティアの皆様の働きは素晴らしかったようで、「自衛隊は凄い」「ボランティアの皆様が有り難かった」と、実感を込めて語る方々は、非常にたくさんいらっしゃいました。
 また、私が腕に巻いている「災害復興支援」の腕章を見て、「よろしくお願いします」「ありがとう」と声をかけて下さる方もいらっしゃいました。


 ここでの私の滞在期間は2~3日でしたが、これは非常に良い経験だったと思います。
 今後、この東北に赴任してから、どんな仕事をするのか、どんな覚悟が必要なのかを、少しだけでも学べましたから。

 本格的な赴任は、7月中頃になる予定ですが、それまでの間に、東京で担当している案件をしっかり引き継いで、準備万端整えてから、現地入りしたいと思っています。
 少しでも、被災地の復興に役立てるように、頑張ります!


 そしてこれを読んでいる被災地の外の皆様。
 できれば被災地の皆様に、「頑張れ!」という言葉は使わないで下さい。その言葉は被災地の皆様には、多分、激励にはなりません。
 被災地の皆様は、既に絶望の縁から立ち上がって頑張っています。それがどれほど過酷であったかは、震災当時に安全な場所にいた自分には分かりようもありませんが、しかし、想像を絶する労力が必要だった事は想像できます。

 つまり、被災した皆様は、もういっぱいいっぱいに頑張っているのです。安全な場所でぬくぬくとしていた私達が、想像できないくらいに。
 そんな皆様に、頑張れ、頑張ろう、と呼びかけるのは、安全な場所にいる人達が、自分達の不安を紛らすための自己満足でしかありません。
 「頑張れ!」と声をかける余力があったら、「自分に何ができるか」を考えて、小額でも良いので募金をしたり、できる範囲で支援に繋がる活動をして頂ければと思います。

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プロフィール

YO-TA

Author:YO-TA
2011年7月に東京から仙台に移住。
相変わらず、デジカメ片手に、サイクリングやハイキングを楽しんでいます。
突然、突拍子もないことをやらかしますが、それはまあ、ご愛嬌という事で…。

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